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紺碧の将
Interview Blog Vol.31

縁がつながり、〝好き〟を仕事に。

戸谷紀子さん

2018.01.01

戸谷さんは神楽サロンの立ち上げメンバーの一人で、Web やグラフィックのデザイン業務を担当されています。一方、プライベートではフラメンコを続けています。昨秋、フランスに拠点を移しました。ネットを介して、引き続き神楽サロンの業務を行っています。

フラメンコに魅せられて10年

戸谷さんに初めてお会いしたとき、独特の空気感を持った方だなと思いました。フラメンコを習っていると聞いて、なるほどと納得しました。数年前、所属している教室が主催している披露公演に誘っていただきましたね。とても素敵でした。フラメンコはいつから習っているのですか。

 10年前です。こんなに長く続いたのはフラメンコが初めてですね。仕事以外にも何かチャレンジしようと思ったとき、前からやってみたかったフラメンコを習い始めました。高校のときにダンス部だったこともあって、比較的体は柔らかい方なので、スムーズに始められました。先生や仲間にも恵まれました。習い始めた当初は先生のようにその世界でやっていけたらと思っていたんですけど、自分には向いていないことに気づきました。

なぜそう思ったのですか。

 オーバートレーニングをすると、身体の作りが合っていない部分などに無理がきて、動かなくなるんです。自分の体には合わないことがわかって、今は踊ることを楽しんでいます。

フラメンコの魅力はなんでしょう。

 そうですね……、情熱的なところでしょうか。クラシック・バレエのようなふわっとしたものよりも、情熱的で力強い感じのあるフラメンコの方が私は好きです。かっこいいですよね。

 日本はスペインの次にフラメンコ人口が多いみたいですよ。スクールもたくさんありますし。パリでフラメンコスクールを探しても4つくらいしか見つかりませんでした。日本では大小ありますが、何百とスクールがあります。

 日本人て、力強さとか情熱など、打ち込むことが好きなのかもしれませんね。真面目な日本人に合っているんだと思います。

縁がつながり適職へ

神楽サロンではホームページやパンフレットの制作など、Webデザインを担当されていますね。デザインのお仕事は長いのですか。

 いいえ、本格的に始めたのは今の職場です。昔から絵を描くのが好きだったんです。子供の頃は父親のパソコンを使って遊んでいました。高校生になるとファッションに興味が出てきて、デザイン画などもよく描いていていました。その延長でファッションの専門学校へ進学しました。Webデザインにもずっと興味があって、プライベートでもパソコンで絵を描いたり、デザインのまねごとをして楽しんでいました。写真加工やデザインのアルバイトもしていたことがあります。

そういえば、「旅館コレクション」のカタログにデザイン担当として戸谷さんの名前がありましたね。

 以前働いていた職場で、偶然にも旅館コレクションの福永浩貴さんの身内の方と知り合って、その方が福永さんを紹介してくださったんです。そのご縁で旅館コレクションのカタログのデザインをしばらくさせていただいています。

 神楽サロンで働くことになったのも、福永さんが(神楽サロンの)奥山(秀朗)さんと瀧澤(信)さんにご紹介してくださったおかげなんですよ。

 神楽サロンの立ち上げと同時に、一緒に働かせていただくことになりました。それが2009年でした。

そうだったんですか。良いご縁に恵まれていますね。立ち上げからというと、最初は手探り状態ですよね。

 そうですね。当初はイベント業務が多くて、事務仕事から雑務までいろいろなことをやりました。そのうち、会社のホームページやチラシ、Webサイトなどを作るようになってデザインの仕事が増えてきました。

 事務的なことよりも創作することが好きで、クリエイティブな仕事の方が自分には合っていると思います。

 だんだん自分の好きなことや得意なことができるようになってきて、今では結構自由に、好きなことをさせてもらっています。

 自分で考えて学ぶことが好きです。Webも最初は独学でした。ただ独学にも限界があって、そのことを痛感していたとき、ありがたいことに会社からWebの学校に通わせていただいたんです。基礎から学べたことで自信をもって仕事ができるようになりました。

海外留学で新たな自分を発見

戸谷さんはいつも淡々とされていますよね。

 よく言われます(笑)。淡々とはしていますけど、結構負けず嫌いで、内心、「絶対あきらめないぞ」という気持ちはありますね。それに、こう見えて頑固なところがあって、自分の意見を曲げないこともあります。といっても許容範囲は広い方だと思いますけど。

昔からそうだったんですか。

 どうでしょうね。淡々とはしていたかもしれませんが、友人からは留学してから変わったと言われます。もともと人見知りで、それまではどちらかというと自分から人の中へ入っていく方ではなかったのですが、海外へ行って変わったみたいです。

どこに留学されていたのですか。

 イギリスです。専門学校を卒業した後、一年間アルバイトで留学資金を貯めてイギリスへ語学留学に行きました。英語が話せたらもっと世界が広がるだろうと思ったからです。

行ってみてどうでしたか。

 英語は中学、高校で勉強しただけでしたから、最初の3ヶ月くらいは言葉が通じなくて大変でした。話せないから部屋に引きこもりがちになるし、あまり外出もしませんでした。でも、それではいけないと思い、積極的に外に出て行くようにし、なるべく日本人を避けて外国の人と英語で会話をするようにしました。

 最初の語学学校はイギリスの郊外だったのですが、アートカレッジに行こうと思ってロンドンの中心部に移ったのもよかったのかもしれません。資金の都合で、結局、カレッジには行かなかったんですけどね。

留学前と後で、何か変わったところはありましたか。

 友人からの印象はさっきも言いましたね。それと、留学を経験したことで自信がついたのか、海外へ一人旅に行くようになりました。少なくても一年に一回は行っていましたね。滞在期間は10日くらいでしょうか。本当はもっといたいところなんですけど。長期滞在しないとその国の良さはわかりませんよね。

女性の一人旅ということで、ご両親は心配しませんでしたか。

 比較的、自由に育てられた方で、そういうことはなかったですね。私は4人姉妹の長女なんですけど、両親は自由に育ててくれました。あれしちゃダメ、これしちゃダメということはなかったです。留学のときも、一人旅も、心配はしていたみたいですけど、「気をつけていってらっしゃい」と心よく送り出してくれました。自由に育ててくれた両親には本当に感謝しています。

お話を伺っていると、戸谷さんはとても上手に流れに乗ってこられたのだなと感じます。ひとつひとつの点がちゃんと線になっていることがわかります。

 私もそう思います。淡々と見えて、一応、ひそかな努力はしているんですよ(笑)。それがいつも次につながってきたという気がしますね。

 基本的には、とりあえずやってみるという考えで、ダメならまた別の方法を考えます。それなりに失敗もあったとは思いますが、あまり覚えていないのは、きっと性格もあるのかもしれませんね。失敗して落ち込むより先に、これがダメならじゃあどうしようかと、次のことを考えちゃうんですよ。

 それがよかったのかもしれませんね。自然の流れでだんだん自分の好きなこと、したいことができるようになりました。

 今は、これまでやってきたことが積み重なって生きている感じがします。

 これからはフランス人のパートナーと一緒に、フランスでの生活を楽しみながら新しいことを積み重ねていきたいと思います。

 ありがたいことに、拠点は変わっても、引き続き神楽サロンでインターネットを介してWeb 制作などの業務をさせていただくことになりました。もっと勉強して、フランスでもデザインの仕事ができるようになりたいですね。

ちなみに、フラメンコも続けられますよね。

 はい。長く続けられたのは、やっぱり先生や仲間のおかげでもありますから、フランスに行ってもまた続けたいです。

がんばってください。

 ありがとうございます。

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