すべてを自らとともに携えよ、われはすべてを自らとともに携えたり
紀元前六世紀プリエーヌに生まれたギリシャ七賢人の一人、ビアスの言葉だ。プリエーヌが敵に包囲されたとき、市民がそれぞれ財宝をもって逃げようとする中、ビアスひとり、何ももたずにこう言い放ったという。ビアスにとって財宝とは、自らの知恵と思想そのものだったのだ。
「余計なものはもつべからず」と言ったのはファイドロス。
プラトンの『対話』にソクラテスとともに登場する人物である。
紀元前という大昔、すでにこの世の真理は説かれていたのだろう。
人間本来無一物。
人間はみな、何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでゆく。
だがしかし、無一物中無尽蔵。
無一物ではあるけれど、その中には無尽蔵に広がる空がある。
空なるところ、知恵も思想も自由自在。
失うこともなければ、減ることもない。
いくら増えても重くもないし、使えば使うほど磨かれ研ぎ澄まされて光り輝いてゆく。
物で溢れかえる今の世に、本物の財宝はあるのだろうか。
誰もが携えている小さなスマホの中にはきっと、金銀財宝がぎっしりつまっていることだろう。
危うく無くそうものなら、命をとられてしまったかのごとく、茫然自失になるにちがいない。
デジタル社会の現代だからこそ、知恵を身につけ、独自の思想をもつことが大切。
仕事も生き方も多様化する今、どこでも身一つで生きてゆける、しなやかさと強さを身につけたい。
(180125 第396回)