フェンシングの先生は、コーヒー茶碗のなかで、余計な動きひとつなしに、スプーンをまわす回し方を見ただけで、剣士の腕を見抜いたのである
幸福論の提唱者の一人、アランの言葉をまたもや取り上げてみよう。幸福論だけに、どの言葉をひっぱってきても格言になってしまうから面白い。かといって、手抜きをしようと思っているわけではないので、あしからず。だって、この言葉、本質をついていると思いませんか?
フェンシングも剣道も、剣士たるもの、無駄な動きは御法度なようだ。
無駄な動きは、相手に隙を与えてしまうのだろう。
無駄な動きとはどんなものか。
こそこそしたり、きょろきょろしたり。
おおげさだったり、かっこつけたり。
きっと、いろいろあるにちがいない。
では、無駄のない動きとはいったい…。
アランはこう見ている。
「ほんとうの力は礼儀作法に反するものではない」と。
つまり、礼儀正しいことが、無駄のない動きをつくると言っているのだ。
え? そんなこと?
そう、そんなことです。
「フェンシングは、いわば礼儀正しさのスポーツであって、これはそのまま礼儀作法に通ずる。粗暴さや荒ぶる力を感じさせるものはすべて、無作法である」
力みすぎると声も必要以上に大きくなるし、落ち着きもなくなる。
肩に力が入れば、動きもぎこちなくなって、所作も慌ただしくなるだろう。
内面の弱さは、外面を頑強にさせる。
力をつけたければ、力を抜こう。
なめらかで落ち着きのある美しい姿は、強い精神力のあらわれ。
まずは肩の力を抜いて、心と体を静かに整えてみませんか。
(180303 第408回)