美しいものは若いのです。美しいものはつねにあたらしいのです
白洲正子
「韋駄天お正」とは白洲正子。命名したのは美の巨人、青山二郎である。男勝りな行動派の正子をそう呼んだ。自らの目で見、足を運んで執筆する姿は生涯変わらなかったという。本物を追い求め続けた彼女らしい言葉だ。
年若い人たちの美しさは、純粋無垢な白をまとった美しさ。
汚れを知らない、まっさらな美しさだろう。
だがそれも束の間のこと。
本当の美しさは、年輪を重ねたあとにやってくる。
本当に美しいものは、時を経ても美しい。
美術品や芸術品がそうであるように。
見るたび触れるたびに新しい発見がある。
古くて新しいというのは、そういうことだろう。
職人の手仕事は美しい。
ひたすらに物づくりに情熱をそそぎ、新しいものを生み出そうとする姿は、そのまま作品に表れる。
だからこそ、研鑽がものをいう。
美しい輝きを放つためには腕も魂も磨き続ける必要がある。
人も物も、古くて新しいものは内面から神々しい光を放つ。
若さとは年齢ではなく年輪のかたち。
伐られてもなお生き続け、味わいを深めてゆく木は、美しい生き方の手本だと思う。
(180415 第421回)