夢と希望を絵にのせて、子どもの未来をチームワークで支えます。
作家 株式会社KUMA’S FACTORY代表取締役小野孝一さん
2018.05.01
長年デザイン会社でグラフィックデザイナーとして活躍していた小野孝一さんは、請け負った童画で評価を受け、夢にも思わなかった童画作家の道を歩むことになりました。独立後、美術専門学校の教え子だった星野はるかさんが弟子入りし、後にスタッフの一員となってイラストレーターとして活躍。息子さんの祐真さんもプランナーとして加わり、現在、総勢5人のクリエイターチームで子どもたちの「学び・育み・環境」をアートでサポートしています。
グラフィックデザイナーから童画作家へ
小野さんはもともと童画作家ではなくグラフィックデザイナーだったのですよね。
小野 そうなんです。ちょうど1964年の東京オリンピックの頃、グラフィックデザイナーという職業が流行りましてね。高校卒業後の進路を決めかねていたこともあって、美術学校でデザインを学びました。卒業後はデザイン事務所に入り、グラフィックデザイナーとして23年間、勤めました。
その頃から絵は描いていたのですか?
小野 いいえ、デザインだけをやっていました。描くといったら○や△のようなものばかりで、絵らしい絵を描いたことは一度もなかったんですよ。ですから、自分が作家になるなんて夢にも思わなかったです。
それがなぜ、童画を描くことに?
小野 事務所の先輩に絵心のあるデザイナーがいましてね。その方が現代童画会の会員だったこともあって、あるとき、私にも作品を出展するよう言われたんです。先輩の勧めですから、やったことはなくてもやるしかない。なんとか必死で描き上げて出展しました。そうやって3、4回出し続けているうち、童画会の会友になることができて、個人的に仕事が入るようになったんです。はじめは「これで仕事になるの?」と、びっくりしました。絵に関してはまだまだ駆け出しでしたからね。そのうち、イラストの仕事がぽつぽつ入るようになって、本業と掛け持ちでやっていました。美術学校の講師の依頼がきたのもその頃です。会社には仕事はきちんとやるということで承諾をもらい、イラストの講師をはじめました。
すぐに独立されたのですか。
小野 いいえ、独立するなんて考えたこともなかったです。ただ、周りから、独立した方がいいと言われたんです。こういう仕事ですからね、父親からも「独立した方がいい」と勧められていて、結局、43歳のときに独立し、「スタジオKUMA」という名前で事務所を構えました。
「KUMA」というのは、先輩から「童画はクマが描けないといけない」と言われて、とにかくクマの絵ばっかり描いていたからです。クマは他の動物と違って、擬人化できる動物なんです。童画作家はクマを描けるようになって一人前だと教えられました。
23年間、会社勤めをされたあとの独立となると、収入面での不安はありませんでしたか。
小野 それはなかったですね。というのも、会社勤めをしていたころも、給料日にちゃんと給料をもらったことがあまりなかったんですよ(笑)。給料日がいちばん嫌でした。結婚して子供もいたので、もらえないときは家に帰るのがつらくて、つらくて。そういうこともあって、父親からも独立を勧められていたんです。独立したあとは、イラストや本の装丁など次々と仕事が入ってくるようになり、むしろ独立してからの方が収入面も良くなりました。
幸運の女神〝星野はるか〟現る
お一人ではじめられたのですか。
小野 ちょうど、独立するかしないかという頃に、美術学校の教え子だった星野はるかが私のところに来ましてね。彼女は学校でも誰よりも熱心に課題に取り組む子だったんです。請け負った仕事と同じことを授業で生徒たちにやらせるんですけど、彼女だけがあきらめずに最後までやり通して提出していました。やると決めたらやる、すごい子だなと思いましたよ。彼女は私のような仕事がしたいといって、授業のないときも絵を学びがてら、友人たちとよく私の事務所に遊びにきていたんです。そのうち、卒業したら一緒に働かせて欲しいと言ってきましてね。私自身、まだ事務所を構えたばかりだったので、スタッフを雇う余裕なんてないですから、「給料は払えないよ」と言っても、それでもいいと言って働きにくるようになったんです。
今では、星野さんは童画作家としてご活躍されていますね。
小野 そうなんです。彼女は本当に絵が好きなんですよね。朝から晩まで寝る間を惜しんで仕事をしています。最初のころも、給料も払えないのに毎日埼玉から通って私の仕事を手伝ってくれていたんです。それが期待以上の仕上がりで驚きました。交通費が往復1000円以上かかっていることを聞いたときは、本当に申し訳なかったですね。給料なし、交通費もなしで愚痴一つこぼさずに毎日通ってアシスタントをしてくれて、こんな子はいないですよ。本人にすれば好きなことをやっているのかもしれませんが、なかなかできませんよね。さすがに交通費は払うようにしました(笑)。見た目はやんわりしていますけど、芯は強くて、がんばり屋さんなんです。
彼女がスタッフとなってから、仕事が一気に増えましたね。弊社では全国ジャンボ宝くじの図柄デザインなども手掛けているのですが、これまでに合計14回、全5シリーズの図柄デザインに採用いただいています。しかも、そのうちの11回は星野が勝ち取ったものなんですよ。それ以外では、幼児教材などもかなり多く手がけています。
(写真前列左が祐真さん、右が星野はるかさん)
星野さんは小野さんのご子息である祐真さんの奥様でもありますね。
小野 はい。私がキューピット役だったみたいです(笑)。
祐真 彼女の話は父からよく聞かされていたんですよ。すごくいい子がいるんだって。ある日、私の勤めるBARに二人が来たんですけど、突然、父が若い女性と二人で現れたんでびっくりしていたら、例の彼女だったんです。それが初対面でした。年齢も近いこともあって、すぐに意気投合して遊び仲間の一人になり、気がつくとそういうことになっていました(笑)。
頼もしき参謀誕生、のち構造改革へ
祐真さんがプランナーとしてお父様と一緒に働くようになったのはいつごろですか。
祐真 以前からときどき父の事務所に行ったり、仕事を見たりしてはいたのですが、彼女に会ってから事務所に行く回数が増えまして、意識がそちらに向いたんでしょうね。父に一緒に働かせてほしいと頭を下げました。ちょうど出始めたMacを事務所も導入したころで、あのデザインに惹かれたということもあります。かっこいいなと。教えてもらいながら使ってみて、すぐにはまりましたね。ただ、もともとクリエイティブな仕事に憧れはありましたけど、デザインのことはまったく知りませんし、そもそもそういう勉強をしたこともありませんから、まったくの独学です。知識も技術もすべて現場で学びました。
お父様と一緒に仕事をすることに不安やためらいはありませんでしたか。
祐真 うーん、昔から父の仕事は見てきていましたからね。父の絵が教科書に描いてあると恥ずかしくも嬉しくて、すごいなと思っていましたし、そういう父と一緒に仕事をするのは、やっぱり嬉しいですし誇りに思います。息子の私が言うのもなんですけど、美術講師時代から父は生徒たちに慕われていましたし、人徳があるんですよね。
小野 今は落ち着きましたけど、最初はやっぱり衝突しましたよ。彼が入った当初、星野と彼は大きな仕事をかかえて毎日寝る間もなく働いていたんです。それはもう大変な仕事で、依頼主の言うことがあまりにも理不尽なことばかりだったんで彼も我慢できなかったんでしょうね。毎日毎日、私と彼は喧嘩ばかりしていました。星野が泣いて止めに入っていたくらいです。
祐真 やってもやっても終わらないんです。2年半のプロジェクトで1万カット制作するところ、やり直しが続いて結果的に4万カットのデータを作りました。その間、ほとんど毎日徹夜です。仕事は厳しいものだと、そのときはじめてわかりました。
現在はスタッフの方々との連携をとりながら小野さんと星野さんがメインで作画をされ、祐真さんが全体のプロデュースをされているのですか。
祐真 そうですね。以前は制作にもかかわっていましたが、今は総合的なプランニングをしています。営業や企画をはじめ、スタッフ一人ひとりのいいところを引き出せるようにポジショニングをするのも私の役割です。
小野 彼がいなければ今のKUMA’S FACTORYはないですね。私はひとりでもいいと思っていたんですけど、これからは組織として連携しながらやっていかないとダメだと言われました。一人で全部をやるのではなく、餅は餅屋で一人ひとりができることをやる。そうやってチームを組んでやった方がよりいいものができるし、うまくいくと。そういう発想は私にはなかったですからね。
もう引退してもいいなかと考えていたときも、「何言ってんだ、まだまだできる」って、もう一度立ち上がらせてくれたのも彼でした。新しい風を吹き込んでくれた彼には本当に感謝しています。
仕事は主に子供向けのものが多いのでしょうか。
小野 うちはそこに特化しています。最初は1つに絞ることがこわかったんですけどね。ところが、不思議なことに、1つに絞ったことで仕事は増えました。「何でもやります」ではダメなんでしょうね。今は養育教材やイラストなど、子供を中心としたものだけを手がけています。
また、星野が講師となって保育士や保護者向けの講座も開講しています。私ひとりではできなかったことを息子と星野が開拓してくれるおかげで、スタッフもKUMA’S FACTORYもどんどんよくなって、仕事の依頼も増えています。ちょっとオーバーワーク気味なところもありますが、ありがたい悲鳴ですね。
祐真 これからもスタッフ全員がいいところを出し合って、いい提案、いい仕事をしていけたらと思います。