自分の持って生まれた可能性は私の財産
社会学者で評論家であった鶴見和子の言葉を紹介。柳田國男と南方熊楠を研究し、西欧の歴史が人類の歴史だとする西欧型近代化論に対し、地域住民の土着性や創造性に根ざした「内発的発展論」を唱えたことでも知られている。77歳で脳出血に倒れたあとも、精力的に執筆活動をつづけたという。
生きていくために、お金は必要。
そのために、人は働く。
食べることはもちろん、生活全般の物質的な豊かさを得るために。
しかし、人間は欲深い生き物。
さらなる豊かさをもとめ、「もっと、もっと」と欲を出す。
金品や物質的なもの、形あるものは失うこともあるし、時とともに値打ちが下がることもある。
そんな不確かなものを財産とすればするほど、不安は募る。
巷で話題の「働き方改革」。
一人ひとりの意思や能力、置かれた立場によって働き方を選択できる、働く人の視点に立った働き方を推奨するものだ。
働き方を選べるということは、生き方を選べるということ。
時代は、物質的な豊かさから、より高度な精神的豊かさへとシフトチェンジしようとしている。
つまり、物質的な財産ではなく、可能性という精神的な財産を蓄える時代がきているのではないか。
今必要なのは、平等即不平等を知ること。
人はみな、一人ひとり違うものを持って生まれてきたということを、あらためて噛み締めてみよう。
物質的な財産に差異はあれど、可能性という財産はみな平等にもっている。
「自分はダメだ」と自ら捨ててしまわないかぎり、失うことはない。
秘宝は、今か今かと掘り起こされることを待っているのだから。
(180813 第459回)