これしかない、といういわば絶対的な制約(不自由)のもたらす無限の自由
再び、困った時の玄侑さん。言葉探しに行き詰まると、きまって玄侑宗久氏の著書に目がいく。何度も登場していただいて恐縮だが、ユーモアーたっぷりの氏の文章が好きなのだ。禅や仏教、あらゆる宗教はもちろんのこと、人生の悲喜交々はユーモアーに溢れているのだと教えられる。
『碧眼録』に「臂膊(ひはく)、外に向いて曲がらず」という言葉があるそうだ。
禅の大家、鈴木大拙はこの言葉に触れ、いたく感心したという。
なぜか。
「人間のひじは、内側にしか曲がらない。それは人間であることの、必然的な制約である。どの方向にも曲がるのが自由で、一方向に限定されているのは不自由と思いかねないが、おそらくそうではない」と玄侑氏。
「それは当たり前のことで、ひじは曲がらんでもよいわけだ、不自由(必然)が自由なんだ」との大拙翁の呟きに、自由の本質をみる。
断捨離や、ものを持たないミニマリストが流行ったのも、自由への希求だろう。
これしかないとなれば、それ以上、そのことに気をとられることもない。
最小限の洋服、最小限の持ち物、最小限のお金、最小限の時間・・・。
ないからこそ、あるものを生かそうとする。
制限という不自由な中で、想像は自由に無限に広げられる。
そもそも人間の命には限りがある。
その絶対的な制約、制限(不自由)には、無限の自由があるということ。
「これしかない」というのは、無限の力を発揮できるであろう最大の宝だ。
(180822 第462回)