目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる
『狭き門』や『背徳者』で知られるアンドレ・ジッドの『田園交響楽』より抜粋。盲目の少女を引き取った牧師が彼女にベートーヴェンの田園交響曲を初めて聴かせたとき、少女から「あなたがたの見ている世界は、『小川のほとりの景色』(第二楽章)のように本当に美しいのですか」と尋ねられたあとに牧師が答えた言葉である。
目の見える人間は、見えるという幸福を知らずに、何も見ようとしない。
耳の聞こえる人間は、聞こえるという幸福を知らずに、何も聞こうとしない。
手のある人間は、足のある人間は、その幸福を知らずに、それらを使おうとしない。
あることが当たり前な人間は、あることの幸福に気づかない。
家族や恋人、友人知人、仕事、健康、お金・・・。
もっと言えば、才能も感性も、優しさや思いやりも、本当は心の奥底に眠っているだけなのに、あまりにも身近すぎて、そのありがたさに気づかずにいる。
本当に大切なものは、失ってはじめてわかる。
けれど、失ってからでは取り返しがつかないものもあるだろう。
そうならないためにも、折を見て、当たり前になりすぎているものを確認したほうがいい。
足るを知る者は富む。
ないものを探すのではなく、あるものに目を向けよう。
あるものを、ひとつ、ふたつと数えていくと、どれほど満たされていて、幸福であるかがわかるだろう。
(180908 第467回)