理性のなかを泳いでいる魚は、自分が泳いでいるということがわからない
日本数学史上最大の数学者と言われている、岡潔の言葉をふたたび。以前にもいくつか紹介したことがある。小林秀雄との対談集『人間の建設』からの抜粋も二度目。本質が詰まったこの著書は、ぜひ一読を。
理性のなかを泳いでいる魚とは、どういうことか。
小林、岡両人いわく、
「頭で考える人」らしい。
つまり、頭で考えているうちは何もわからないということ。
「理性というのは、対立的、機会的に働かすことしかできませんし、知っているものから順々に知らぬものに及ぶという働きしかできません。
……知らないものを知るには、飛躍的にしかわからない。知るためには捨てよというのはまことに正しい言い方です」(岡)
「『論語』はまずなにを措いても、『万葉』の歌と同じように意味を孕んだ『すがた』なのです。古典はみんな動かせない『すがた』です。その『すがた』に親しませるという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい」(小林)
頭の良い二人の言葉ゆえ、少しこむずかしく聞こえるかもしれない。
要は、とりあえず意味を考えず、そのまま受け取れということだ。
歴史にしろ、英語にしろ、まずは丸暗記しろと。
意味を知るのは後でいい。
知らないことを知るためには、余計な知識はじゃまになるだけだと言っているのだ。
理性はときに創造のじゃまをする。
新しい何かを生み出そうとするとき、必要なのは理性ではなく情緒であると岡は言う。
生まれながら泳ぎ方を知らない魚などいない。
理性をとっぱらったとき、生まれながらに備わった情が働き、直感が降りてくる。
(181015 第479回)