私は、私と私の環境である
スペインを代表する哲学者であり思想家のオルテガの言葉を紹介。正しくは、ホセ・オルテガ・イ・ガセット。著書『ドン・キホーテをめぐる省察』にある有名な言葉、らしい。筆者はその本を読んでいない。現在NHKで放送中の「100分de名著」で取り上げているのがオルテガで、そのテキストの中にあった。
「私は、私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない」
オルテガによる「私」の省察である。
「私」とは何か。
オルテガを解説する評論家の中島岳志氏は、仏教に関連づける。
– 仏教の基本には、「私」という実態はない。
「私」とは何か、と考えることで「私であろうとする」欲望に支配され、苦しむことになる。
「そもそも、私という本質というものはない」と気付いたとき、人は初めて解放される。
そして、こう続ける。
− 「私」は五蘊(色・受・想・行・識)の要素に依っている存在であり、その五蘊の配合は「縁」によって構成され、それはつねに変化する。
「私」とは何かを考えるとき、辿ってきた道程を無視することはできない。
かといって、過去に縛られていては、今を生きることが苦しくなるだろう。
だからこそ、「私」とは、つねに変化しうるものだと知る必要がある。
私は、私であって、私ではない。
私が考えることは、私一人の思いつきではなく、身内やこれまで出会ってきた人々、物、本などから得た知識であり、実体験に基づく知恵である。
さらに言えば、彼ら、彼女ら、物や著者たちが体得してきた膨大な経験値の集積でもある。
「私」という一個人には、縦糸である血縁と横糸である地縁、その血縁地縁から派生する血縁地縁と、はてしなく続く「縁」による五蘊がつまっている。
そしてそれは、おそらく、突き詰めればひとつにつながっているはずだ。
だから、一人であって、一人じゃない。
「私」を知りたけれは、「私」の環境を見ればいい。
「私」を救いたければ、「私」の周辺を整えればいい。
「私」が「いま、ここ」にいるのは、ご縁によって導かれた証。
「私」を生きるためにも、縁によって与えられた役割をまっとうしよう。
(190219 第514回)