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紺碧の将
Interview Blog vol.74

日本語の可視化で外国人の日本語習得に貢献します。

新宿日本語学校校長江副隆秀さん

2019.04.10

新宿区高田馬場にある新宿日本語学校は、独自の教材を使った日本語の教授法が話題となり、世界50カ国以上から多くの学生たちが集まっています。教材を研究開発しているのは、校長を務める江副隆秀さん。「日本語の助詞は二列」というユニークな発想で、複雑な日本語の壁を乗り越えます。

「日本語の助詞は二列」の意味

江副校長は、研究開発がことのほかお好きだとうかがっています。なかでも「日本語の助詞は二列」という教授法に使われるカードは画期的だとの評判ですね。

 日本語には「てにをは」と呼ばれる助詞がありますよね。「雨がふる」の「が」や、「後から行く」の「から」などがそうです。言葉と言葉をつなぐもの。この助詞は、日本人は無意識に使い分けているのですが、外国人にとってはとても複雑でわかりづらいものなんです。たとえば、「海へ行く」と「海に行く」では同じ「行く」でも微妙に意味が違います。「〜へ行く」は、その方角へ向かうというような曖昧さがありますが、「〜に行く」なら断定的です。この使い分けが非常にむずかしい。日本語は助詞の使い方しだいで幾通りも文章が成り立ちます。それを「情報」と「述部」に分け、その間に二列の助詞があると考えて教材のカードを開発しました。

具体的に、どういうカードなのですか。

 日本語の品詞を可視化したカードです。言葉には名詞や動詞、助詞などいくつかの種類があります。外国語の場合、この品詞の連なりはシンプルですが、日本語は状況や場所、時間、相手によって使い方が変わってきます。しかも、ひらがな、カタカナ、漢字と3種類あるため、さらに複雑になります。それをもっとシンプルにできないかと考えたのが、言葉の可視化です。助詞の特性を目で見て理解できるようにした「重箱カード」です。何十種類もあるのですが、それを見ながら説明を聞けば、ストンと腑に落ちるようにできています。テキストもなるべく可視化しています。例えば、動詞が緑、黄色が名詞というふうに……。そうやって日本語の助詞を理解した外国人は、われわれ日本人より日本語を知っているともいえます。

品詞を可視化するというのは、新しい発想ですね。

 可視化することで、言葉の構造がわかります。それがわかれば、どの国の言葉も比較的早く覚えることができる。しかも、カードを見ながら、身体を使って動詞の活用を覚えますから、動作につながる言葉が早く身につきます。

それは日本人にとっても有効ですね。われわれ日本人も正しい日本語を話せているかというと自信はありませんし、ましてや日本人は外国語を学ぶのが苦手です。

 そのとおりです。ですから、この教材は日本人が母国語を正しく学ぶのにも役立ちますし、同時にいろいろな外国語を学ぶこともできると思います。実際、この教授法はろう学校でも活用されているんですよ。

なぜ、ろう学校に必要とされるのでしょう。

 今は会話もスマホで簡単にできる時代です。耳が聞こえないろう者にとって、それはとても嬉しいことです。これまで手話や筆談で会話していたのが、だれとでもスマホで会話ができるのですから。
そこで問題になるのが言葉の使い方です。彼らは耳が不自由なために日本語を聞くことが困難で、助詞の正しい使い方がなかなかできません。だから、よく間違えるそうです。そういうところが外国人学生たちと共通していて、この品詞の色分けカードは彼らにとっても、とてもわかりやすいということで活用していただいているのです。

苦学生時代のこと

新宿日本語学校ができたのはいつですか。

 1975年です。両親と一緒に立ち上げました。

ご両親とも日本語の先生だったのですか。

 はい。戦後、1951年ごろから、六本木にあった聖ヨゼフ日本語学院で、宣教師たちに日本語を教えていました。ただ、70年に宣教師の布教がなくなり、学院は閉鎖しました。

カトリック系のご家庭なのですね。

 もともと仏教なのですが、祖母がカトリックに改心して以来、キリスト教です。私は小学5、6年生の頃、神父になるのが夢だったんですよ。

神父になるのが夢というと、かなり信心深い教育を受けられたのですね。どういう幼少期を送られたのでしょう。

 子供の頃は貧しい家庭環境でした。曽祖父が実業家として成功をおさめたころは江副家も裕福だったようですが、祖父の代で倒産してしまったため、どんどん貧しくなりました。それで小学校を卒業したら家を出ようと思い、中高一貫の暁星高校へ進学しました。

暁星高校はカトリック系でしたね。そこを選んだのは神父になるためですか。

 最初はそうでしたが、高校2年の頃に自分は神父に向いていないと悟ってから、神父になるのはやめました。

なぜ向いていないと?

 カトリックの教えが、私には合わないと思ったのです。たとえば、天国と地獄の関係です。カトリックは悪行を犯したものは地獄へ、善行なら天国へ行く、という教えが基本です。だとすると、どんなに良い行いをして天国に行けたとしても、親や親族など、身近な人が何か悪いことをして地獄へ落ちることになれば、自分も幸せにはなれませんよね。大切な人たちが地獄で苦しんでいるのに、見て見ぬふりをして自分だけが幸せになることはできません。そういう教えが受け入れられないと思ったのです。ただ、1970年の終わり頃にバチカン公会議によってカトリックの教義が変わりました。今はそういう教えではないと思いますよ。

それで方向性が変わったのですね。

 はい。高校卒業後は上智大学の法学部に進学しました。理由は、学費が一番安かったからです(笑)。家が貧乏でしたからね。高校の学費も牛乳配達のアルバイトをして稼いでいました。実は、卒業式の日に配達が長引いて遅刻してしまったんですよ(笑)。前代未聞でしょう?

それほど苦学生だったということですね。しかし、法学部で学ばれて、その道に進まなかったのはなぜですか。

 途中、法学部から文学部の新聞学科に転部したんです。ジャーナリストになるために。以前からずっと、社会のためになにかしたいと考えていて、ジャーナリストなら社会に貢献できるのではないかと考えたのです。海外にも行けるだろうと思って。それで、一年間休学し、父のツテでイギリスへ語学留学に行きました。渡航費を稼ぐために、朝の牛乳配達に加え、昼は倉庫での作業、夜は家庭教師のアルバイトを掛け持ちして。家庭教師の時間になるとヘトヘトでしたね(笑)。

新宿日本語学校設立から44年経て

大学を卒業後は、ジャーナリストの道へは進まなかったのですか。

 一応、某新聞社に就職しましたが、それも数ヶ月で退職しました。会社側との意見の食い違いが原因です。同じ年の秋頃に、両親が新宿駅前に「新宿日本語学校」の事務所を構えることになり、事務員として一緒に働くことになりました。
イギリスに留学していたとき、日本語を教えてほしいとよく言われていましたから、日本語学校の需要はあるだろうし、今後増えるのではないかとも思っていました。

立ち上げた当初、学生はどれくらい集まりましたか。

 最初は4、5人程度です。学校と言っても、新宿駅前のビルにあったCFCの部屋を、空いている時間だけ借りるという状況でした。日本人の税金を外国人には使えないという理由で国からの補助金もありませんから、ちゃんとした教室ももてなかったのです。

補助金もなくて、生徒も集まらなければ、運営もままならないと思います。

 そうなんです。ですから、海外に日本語学校の拠点を作り、集まった学生に日本へ来てもらうというシステムを作ろうと考えました。そして、両親がアジアのいくつかの国へ視察に行き、シンガポールに拠点を置くことが決まったのです。

シンガポールに日本語学校を作ったということは、ご両親がそこで日本語を教えるということですよね。

 はい。両親はそのままシンガポールに居住することになり、のちに在シンガポール日本語センターの主任になりました。残された私は、一人で新宿日本語学校の運営をすることになってしまったのです。なんとか運営が軌道に乗るようになったのは、4年後の1979年。業務を拡張するために独立して新しい校舎へ移りました。

この高田馬場の校舎へ移転したのはいつですか。

 1982年です。その3年後に東京都知事の認可を得て、ずっと夢だった学校法人にすることができました。

高田馬場に移ってからの状況はいかがでしたか。

 1987年に、中国がパスポートを自由化したことで、大勢の中国人が日本へ押し寄せてきました。その波に乗って、都内に2カ所、校舎を購入しました。おかげで26億円の借金を背負うことになってしまって。返すのが大変でした(笑)。

現在、創立44年。設立当初にくらべて日本語学校の数もかなり増えたと思います。また、外国人労働者の受け入れ拡大や来年の東京オリンピックなど、今後ますます日本に滞在する外国人が増えると思います。これからの展望をお聞かせください。

 やはり、日本人が正しく日本語を学ぶことを念頭に、教材の開発や提供をしていきたいですね。外国人とのコミュニケーションが必要となる社会だからこそ、日本人は外国語を学ぶ以前に自国語をきちんと理解する必要があると思います。
 日本人にはあまり知られていませんが、実は、アジア圏では日本語から派生した言葉が自国語になっているところがあるんですよ。パラオは日本語が公用語ですし、中国語や韓国語などは、日本語そのままの単語が使われているものも数多くあります。そういうことを知るだけで、外国語が身近に感じられますよね。
 日本語教育を通して日本への理解を深め、日本と母国との架け橋となって活躍してくれる人材を育成していきたいと思っています。

(写真上から:教材、授業風景①②、新宿日本語学校1号館)

Information

【新宿日本語学校】

〒169-0075  東京都新宿区高田馬場2-9-7

TEL 03-5273-0044   FAX 03-5273-0018
公式サイト https://www.sng.ac.jp/jp/

 

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