死者と出会い直し、一緒に生きていく
評論家であり、東京工業大学教授の中島岳志氏の言葉だ。中島氏はNHNの「100分de名著」の解説者でもお馴染みである。2月に放送した「オルテガ 大衆の反逆」の解説で、彼はこう語っていた。東日本大震災の後、「死者」の問題について考え、苦心して導き出した自分なりの答えだったという。
オルテガは、「生きている死者」の存在を重要視した。
「生きている死者」こそ、生きている人間を支え、世の中を支えているのだと。
「生きている死者」とは何か。
それは、かつてこの世に生きていた人たち。
死してなお、忘却されずに記憶の中で生き続けている人たちである。
中島氏は、東日本大震災のあった一年前に編集者の親友を病気で亡くし、大きな喪失感で仕事にも身に入らない日々を過ごしていたという。
そんな折にあった震災後の記事だった。
書き上げた原稿をメールで送信しようとしたとき、ふと、亡くなったはずの友人のまなざしを感じた。
「見られている」
そう感じてすぐ、中島氏は新たに原稿を書き直した。
「彼は、いい加減な仕事をしようとしている私に『それでいいのか』というまなざしを投げかけてくる。そうして思い至ったのが、『彼は亡くなったのではない。死者として存在している。ならば、死者となった彼と一緒に生きていけばいい』ということでした」
「あの人に見られている気がする」
「亡くなったあの人が見ているから、こんなことはしてはいけない」
そういう感覚は、おそらく誰にでもあるだろう。
それが、死者との出会い直し。
「死者は生きている」ということだ。
「死んだ人」たちの文学をことさら好んだのは、作家の水村美苗である。
新春期の頃、親の都合で海外生活を強いられた彼女は、貪るように日本文学を読み漁ったという。
それはつまり、今はなき「死んだ人」たちが書いた文章に恋い焦がれ、魅せられていたということ。
歴史や過去のものに触れる時、そこには死者との邂逅がある。
そして、彼らから膨大な知恵を借りることができるということでもある。
生きていたときとは違ったかたちで出会い直しをし、死者とともに生きていく。
それこそが、死者も自分も生かし続けていくということではないか。
死者たちはつねに傍で生き、未来を支え続けてくれている。
(190410 第529回)