考えず、しようとせず、ただ心の「感」に従って動くのじゃ
ちょっと前に紹介した。古猫が教える武道の要諦ならぬ人生の要諦がつまった著書『猫の妙術』から、ふたたび古猫に登場してもらおう。折にふれページを開くと、ざわつきそうになる心がすっと軽くなる。やっぱり猫は禅的である。老猫であればもう、全能の神といって過言でない。
勝ちたい。
負けたくない。
生き残りたい。
死にたくない。
武士の悩みは、そのまま現代人の悩みにあてはまる。
どんなに文明が発達しようと、人間が抱える悩みや願望に、それほど差異はないということだろう。
この世は弱肉強食ゆえに、強いものが勝ち、弱いものが滅びることを誰もが知っている。
だからこそ、勝ちにこだわり、あの手この手で生き残ろうとする。
どうすれば勝てるか。
どうやって生き残ろうか、と。
古猫いわく、
「身体は、気が動かすのじゃ。気がのびのびと働けば、何が起ころうとも応じられ、相手に調和するのに苦労もなく、岩や鋼に当たっても挫かれることはない」
そもそも、勝ち負けや生死へのこだわりがあるうちはまだまだ未熟。
勝ちたがる自分を殺し、
勝ち負けを超えろ、と古猫は言う。
こうしよう、ああしようという作為が入れば、気も濁り、動きも自然さも失う。
濁った気には、敵も服せず抵抗し、ますます打ち倒そうと向かってくる。
古猫いわく、技には「念」から出るものと「感」から出るものがあるらしい。
考える「念」と、感じる「感」。
茶道の所作は、ひたすら同じことを繰り返すだけ。
理屈ではなく、体に覚えさせるのだ。
最初はうまくいかなくても、そのうち勝手に体が動くようになる。
自然の動きとは、そういうもの。
古猫の言うように、道理と技は一貫しているという証拠である。
「勝てぬときは、どうせ考えたところで勝てやせぬ。
あとは技の修行を通じて、心の内の曇りを取り除くのみじゃ」
(190518 第540回)