百年兵を養うは一日これを用いんがためなり
ときには慣用句もいいんじゃない? ということで一句。先の大戦で指揮官らがこの言葉を引用したということで、ネガティブな意味で捉える人も多いそうだが、それはあまりに早計ではないかと思う。見たまま、言葉のままに捉えるだけではおもしろくない。自分の身に置き換えて読んでみてはどうだろう。
これならわかりやすいだろうか。
備えあれば憂いなし。
十分な備えがあれば、心配はいらない。
百年といわず、十年、二十年、三十年……、
学び、鍛えつづけていれば、いざというときに力になる。
「どんなことも、すぐに得たものは、すぐに失われる」とは、髙久多美男氏の言。
『老子』守微第64章にも、こんな一文がある。
「合抱の木も毫末より生じ、九層の䑓も累土より起り、千里の行うも足下より始まる」
抱えるほどの大木も、最初は毛先ほどのほんのわずかな芽であるし、巨大な堤防だって、一杯の土から始まるのだ。千里の旅も一歩から。
なにごとも、形になるまでには時間がかかるということだ。
今年1月、初詣に行った折、久しぶりにおみくじを引いてみた。
末吉だった。
おみくじにはこう書いてあった。
「 鯤鯨いまだ變ぜざる時。しばらく碧潭の渓を守る。
風雲、巨浪を興す。一息に天蓋を過ぎん」
つまり、大望も未だ時ならず。今しばらく心静かに時を待てと。
時が来れば、風が起こり雲が立ち、浪をあげて飛び立とうとする心がわきあがる。
日々研鑽しつづけていれば、一気に空の果てまで飛び立てるぞ、と。
なかなか嬉しい御告げではないか。
小さなことをコツコツと。
大きなこともコツコツと。
誰のためでもない。
日々の努めは自分のため。
必要なとき、必要な場所で力が発揮できるように、楽しみながら学んでいこうと心新たにした年明けだった。
(190607 第546回)