仏さんなんて探したっていないんだな、自分の心の中にあるんだな
千日回峰行を2度満行した天台宗北嶺大行満大阿闍梨、酒井雄哉老師の言葉だ。千日回峰行とは、約7年かけて比叡山を1000日間、回峰巡拝するなど、自害も辞さないと言われる天台宗独特の荒行である。酒井老師は、この行を2度も満行した“生き仏”。彼のもとには有名無名問わず、数多くの信者が訪れたという。人道を外れた極道者で、酒井老師の光に導かれて改心した人たちもいる。2013年、87歳で逝去された。著書『一日一生』からの抜粋。
修行中のある朝のこと。
酒井老師は琵琶湖のほとりで、えもいわれぬ美しい光景に出くわした。
朝日が空をあかね色に染め、一方、白夜のようなほの明るい空に月が青白く光っていた。東の空には太陽の赤い光が、西の空には月の青い光。太陽と月の対面であった。
老師が毎日お参りしていた根本中堂の本尊は薬師。両脇に、日光菩薩と月光菩薩が立っている。
その三尊仏の姿と、目の前の光景が重なった。
「こちら側にはあかね色に照る日光が、反対側には青い月光。仏さんはその真ん中にいるはずだ。だとしたら、いまぼくが立っているここにいるのじゃないか――」
老師は得心した。
仏は探しても見つからない。自然の中に日光と月光が立っている、その真ん中にいる自分の心の中に如来様がいるのだ、と。
「仏さんはいつも心の中にいる。自分の心の中の仏を見て、歩いていくことなんだな」
陰陽五行説で言えば、陰(月)と陽(太陽)の真ん中、中庸が「仏」だろう。
陰である女性と陽である男性が和合し、命が誕生する。
中庸が仏ならば、仏は命そのもの。
生きとしいけるものすべてが、陰陽を和して生まれた大切な命(仏)であるということだ。
どれ一つとして、無駄な命はない。
草木国土悉皆成仏。
本来、みな陰と陽のバランスによって生まれ、生かされている。
もしも、病気や怪我など、なにか生きづらさを感じていたり、不遇が重なっていると感じていたら、どこか、なにかバランスが崩れているのかもしれない。
そのときは、心中の仏に目を向けてはどうか。
救いの手を外に求めるのではなく、心中に座す仏に手を合わせれば、求める答えが見つかるのではないか。
一人の道も一人ではない。
同行二人。
心にいる仏と一緒に歩いていけば、迷うことはない。
同行二人が集まれば、それはまた楽しい旅になるだろう。
(190627 第552回)