悪に出会ったら転じよう、善に出会ったら用心しよう
ロボット博士の森政弘氏の言葉である。森氏は工学を専門とする傍、30年以上にわたって仏教や禅を研究し続けているらしい。ちょっと変わったおじさんである。著書『退歩を学べ ロボット博士の仏教的省察』から抜粋。
あきらかに人道に外れた悪というものがある一方、
良かれと思ってやったことが「悪」につながることもある。
たとえば、サプリメント。
たとえば、マッサージ。
たとえば、マラソン。
健康のためにと思って大量のサプリメントを摂るのはかえって腎臓に負担をかけるだろうし、癒すためのマッサージも、筋肉を痛めたり骨折することもあるそうだ。運動も、度を越せば命に関わることもある。
何事もほどほどが肝心ということ。
自分の身に置き換えればなんとなくそれとわかっても、他者への善行は時として盲目になるから要注意。
やりすぎ、与えすぎは、かえって相手の自助努力を阻害する。
正義感も、一歩間違えると悪行になる。
「正義という観念は人間の頭の構造から生じたもので、無記なのである。うまく使えば平和が訪れるが、使い方を誤ったり、正義感に固執すると戦争という悪に陥る」
森氏は、善と悪は「高次元の善(おそらく神)」から分かれたものだから、悪に出会えば転じればいいし、善に出会えば用心することをすすめる。
東洋思想でいう「中庸」だろう。
「いいことをした〜」と自惚れていると、意外や意外、「余計なことを」と相手の怒りを買うこともあるし、怒りを買わないまでも、まったく相手は喜びもしないということだってあるのだ。
人の世とはなんとも世知辛い。
善と思えば悪だったり、悪と思えば善だったり。
ならば人の視点でなく「高次元の善」視点で見てみよう。
それなら、善にも悪にも偏らずにすむはずだ。
(190726 第561回)