うしろを振り返るのは、正しく歩こうとする姿勢をより正しくするためである
昭和を代表する随筆家、岡部伊都子の言葉。作家人生のほとんどを、随筆という短い文章に残したというから驚きである。その数、133冊。日常のなかにある伝統美をはじめ、自然や伝統芸術、美術などを繊細な筆致で描きつづけた。上品な甘さと辛さのバランスがほどよく、男性ファンも多い。
後ろを振り向かず、前を向いて歩けと人は言う。
なにごとも前向きに。
ポジティブにと。
何かに囚われ、前へ進めない人への進言だろう。
はたして後ろを向くことの意味とはなんだろう。
京都、永観堂には「みかえり阿弥陀如来」像がある。
その姿勢は、
自分よりおくれる者たちを待つ。
自分自身の位置をかえりみる。
愛や情けをかけ、 思いやり深く周囲をみつめ、 衆生とともに正しく前へ進むためのリーダーの把握 のふりむきなのだそうだ。
人は一人では生きていけない。
生まれるときも死ぬときも一人ではあるけれど、
ある日突然、パッと現れ、パッと消えていくわけではない。
自分という一個の中には、連綿とつづく血脈の、膨大な歴史が詰まっている。
縦と横のつながりで編まれた人の綾が、自分という人間を生み育てた。
だとすると、自分を知ることは、歴史を知ることであり、新たな歴史を作ることではないか。
「なぜうしろをふりかえるかということ、うしろをふりかえって何を思うかということ、そしてそれにどういう批判をくだし、そこからどういう発展や、愛をうむかということ」
うしろを振り向きっぱなしなのは、姿勢としては間違っているけれど、そうせずにはいられないのは、きちんと前を向いて歩こうとする意思があるからであり、そしてまた、自分以外の誰かのためにもなっているのだと、岡部女史の筆が走る。
今を生きるわれわれと同じように、先人たちも前を向くために、後ろを振り向いていたのですね。
(190821 第568回)