どのように進もうかというよりも、どのように退こうかということを考えるほうが大事なのだ
戦国時代最強の武将、「甲斐の虎」こと武田信玄の言葉だ。永禄12年、武田軍は甲府の館で小田原城を攻める軍評定を開いていた。家来たちが進軍の道筋と日程を論じているのに対し、信玄は一人、退却の道を考えていたという。大将たちの心配をよそに、信玄は笑ってこう答えたそうだ。故渡部昇一氏の著書『人生を創る言葉』にあった。
昔から、引き際が肝心と言われる。
何ごとも、始めるのはたやすく、終えるのは難しい。
先の戦争での日本の悲劇は、そのことを物語っている。
退くことを想定しない、感情の昂りにまかせた行動は、悲劇を生む。
東洋思想研究家の田口佳史氏は、準備することの大切さをこう述べている。
「悲観的に準備して、楽観的に行動する」
ところが、たいていの人はその反対をしがち。
「まさか、そんなことはないだろう」と楽観的に考え、その「まさか」に出くわし、悲観的な行動へ突き進む。
百戦錬磨の武田軍の強さは、信玄の「悲観的な準備」によるものが大きい。
「武田軍に敗北なし」と楽観的な家来たちに、信玄は悲観的戦法を掲示する。
「お前たちは進むことを考える。それゆえ、わしは退くことを考えるのだ。進むことは容易だが、退くのは難しいものだぞ。人間というものは、どのように生きようかということよりも、どのように死のうかということを考えねばならぬ。どのように進むかということよりも、どのように退くかを考えるほうが大事なのだ」
甲斐の武田軍と小田原の北条軍が激戦を繰り広げた「三増峠の戦い」は、退去していた武田軍に対し、戦略と知らず追撃した北条軍を武田軍の山県隊が後ろから挟み撃ちをしたことによって、武田軍の勝利となった。
自然の法則に則れば、
成長も拡大も自然の理。
退行も縮小も自然の理。
死を思えば生が浮き立つように、退路を考えれば進路は見える。
(190915 第575回)