足りないものは作ればいいし、手に入らないものは我慢すればよい
羊飼いの小説家、河﨑秋子さんの「颶風の王」より抜粋した。この小説、女性が書いたとは思えないほど雄渾な筆致で内容もずしりと重い。馬と人との生死を分かち合いながら生き延びた壮絶な物語である。タイトルの「颶風」が示すように、冒頭から末尾にかけて激烈な風が「グゥゴオォォ」と雄叫びを上げながら駆け抜けるようだ。この言葉は、自給自足の発想から生まれた言葉だ。
モノが今ほどない時代、
人々はあるもので工夫をし、
手に入らないものはガマンした。
あるものを生かしながら、不足を補っていた。
不足を埋めるために、人間はさまざまなものを生み出した。
とりわけ高度経済成長の頃の目覚ましい発展は、多くの「モノ」を生み出し、人々の暮らしを豊かにした。
しかし、溢れる「モノ」と引き換えに、
心身の「動」という「物」の本性は廃れていったようだ。
人間は本来、高性能の機能を備えている。
傷口は自然に塞がるし、病気をすれば自ずと治る。
お腹は空くし、不要なものは出そうとする。
誰に頼まれるでもなく心臓は健気に鼓動を打ち、脳は手足に動けと司令を出す。
それを鑑みても、人は生まれながらに「生きる」ための不足はない。
それなのに、わざわざ機能を低下させるモノを生み出してゆく。
スマホしかり、車しかり、家電しかり。
機械が高性能になればなるほど、人間は低性能になるというのに。
ないものはない今、あるものにさえ必要以上のものを足す。
もっともっとと、足るを知らず。
ものがなかった昔には、何がなくても足りていた。
かつての人々の暮らしは、人間本来の機能を生かすための工夫がある。
世の中を見渡せば、機械の発展に呼応するかのように、機能不全の人が増えている。
「足りないものは作ればいいし、手に入らないものは我慢すればよい」
ないものねだりをするよりも、すでにあるものに目を向けよう。
付け足すよりも、削ぎ落とすほうが身も心も軽くなる。
不必要な添加物は体に良くないことは、いまさら言うまでもないだろう。
(191112 第591回)