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紺碧の将
Interview Blog Vol.91

助けられるはずの命を救いたい。助産師として母子の笑顔を守っていく。

助産師・NPO法人あおぞら大竹恵実さん

2019.12.25

大竹さん

 

赤ちゃんとそのお母さんの笑顔を守りたいという想いを胸に、助産師として日本のみならず海外でも活躍をする大竹さん。所属しているNPO法人あおぞらは海外医療支援プロジェクトを行っており、海外で出産を安心安全なものにするため、病院建設、医療人材の支援、啓発活動と3つの軸で活動している団体です。なぜ助産師を目指したのか、あおぞらとの出会い、海外での経験、助産師としてのこれからなどを語っていただきました。

この仕事をするために産まれてきた

現在は主にどういった活動をしているのですか。

 日本で助産師として活動をしながら、NPO法人あおぞらを通して、海外の母子保健活動に携わっています。それと2019年6月までJICA(ジャイカ 独立行政法人国際協力機構)で2年間海外ボランティアをしていたんです。そこでの経験と海外の現状を伝えていく講演などもしています。

助産師を目指した理由やきっかけなどを教えてください。

 本格的に助産師を目指したのは看護師として3年ほど働いた後のことでした。もともとは看護師になりたかったんです。親からも勧められましたし、人と関わる仕事がしたくて。高校も准看護師の資格が取れる学校に進学をし、そこからはもうすんなりと。他の職業を考える迷いが生まれることなく看護師になりました。

助産師ではなく、もともとは看護師を目指していたんですか。

 助産師になるには看護師の資格を取得してから助産師教育機関で学んで、それから資格試験に合格し、助産師の資格を取る必要があるんです。3年間看護師として働いて、先のことを考えたとき、次のステップとして助産師を目指したいと思いました。それで看護師の仕事を辞め、浪人をして大学院に入りました。

大竹さんもともとなりたかった看護師を辞める決断をしてまで次のステップに進み助産師になったこと。これが一つのターニングポイントになりそうですね。

 正直に言うと助産師になるまでの道のりは辛いことも多かったです。社会と離れたことで浪人期間中は葛藤もありました。「辞めてよかったんだろうか」「そこまでして助産師になりたかったのかな」「私は何をしているんだろう」など、すごく悩みましたね。

 大学院に入ってからも大変で、ついていけなくなってしまって……。やっぱり看護師を続けていればよかったと思いました。でも実習で初めてお産をとったとき、私はこのために産まれてきたんだというインスピレーションを感じたんです。それほど衝撃的な経験で、この道に進んだことは間違っていなかったと思えるほど、大きなターニングポイントになりましたね。この感覚は今でも持っていて、助産師は天職だと思っています。

助産師としての自分が確立された瞬間でもありますね。

 陣痛のときからケアをしていたお母さんの赤ちゃんを、助産師としてとりあげる経験を初めてしたとき、この職業こそなりたかったものなんだと実感でき、それまでの迷いや不安、後悔が一気に吹っ切れました。

打ち砕かれた自信、海外の医療現場の現状

大学院卒業後に東京で助産師として5年勤めた後、JICA海外協力隊として海外ボランティアの道に進んでいます。

 助産師のキャリアも積み、仕事も生活も落ち着いてきた頃、海外でボランティアをしたいと考えるようになりました。それまでは働きながら短期でボランティア活動をしていましたが、やはりそれでは活動の本質的な部分が実感できませんでした。お手伝いできてよかったね、で終わってしまうんです。もっと深いところまで経験したくて、長期ボランティアができる場を探そうと思い、それでJICAを見つけました。

それほどボランティア活動に興味があったんですね。

 もともと性格が好奇心旺盛なんです。知らないことを知りたい、行ったことのない所に行ってみたい、いろいろな人と話してみたいという思いが遺伝子に組み込まれているのかもしれないですね。最初は自分のできる範囲で力になれればと思って始めたボランティアですが、どんどん深いところまで知りたくなり、海外ボランティアとJICAまでつながりました。

JAICで2年間海外ボランティアをしていたとおっしゃっていましたが、その間、日本での助産師のお仕事はどうしていたのですか。

 退職しました。できれば職場に籍を残して欲しかったのですが認めてもらえませんでした。私のやりたいことって意外と世の中には認めてもらえないことなんだって感じました。やっぱり決断するまでには悩みましたよ。生活もあるなかで、助産師として安定してきた仕事を捨てて次のステップに進んでいいのかなって。それも認めてもらえないようなことなのに。でも最終的には本能が決断しました。後悔したくありませんし、やりたい気持ちが強かったんです。

安定した仕事を辞めてまで海外ボランティアの道を選ぶ。これも大きなターニングポイントですね。実際に海外に行き、そこではどんな経験をしましたか。

 看護師から助産師になり、医療職のキャリアもそれなりに積んでいたので、自信を持ってラオスに行きましたが、完全に打ち砕かれました。こんなにも何もできないのかと思い続けた2年間でしたね。私が日本でできると思っていたことは環境が整っていたから能力を発揮できただけであって、それが全能感になってしまっていた。本当の自分はこんなにも無力なんだということに気づきました。

大竹さんラオスは開発途上国ですね。そこでの医療の現場は当然ながら日本それとは違い、助かるはずの命が助からない現実もたくさんあると思います。

 行ったばかりの頃は、助けられるはずの命を助けようとしない医療現場だと思ってしまっていたんです。だからこそ、「現状をもっと変えようよ」とか、「もっとこうしようよ」と現地の人に言い続けていました。でも2年間、寝食ともに過ごしながら対話をしていく中で、本当は現地の人たちも私と同じ気持ちなんだとわかったんです。それでもどうしようもない現実がたくさんある。それが国の制度だったり、医療の施設・設備の問題だったり、人の教育や意識だったり、他にもいろいろな問題を抱えているわけです。

いろいろな問題とは、具体的には医療の技術や施設設備にあるのか、医療スタッフなど人材にあるのか、どのへんにあるのでしょうか。

 全部です。医療だけの問題ではなく、教育の問題もあります。現地では看護職の人であっても、点滴の計算ができなかったり、1メートルが何センチかもわからない人だっているんです。私が助産師として医療の現場を改善しようと思っても、そこからステップバックして教育や国の政策の段階から見直さないと解決しないんです。純粋に医療だけの問題ではないんですね。改善するためにはもっと広い視野で全体の底上げをしていかないといけません。

あおぞらとの出会い

大竹さんその難しい現状を知った上で、それでも海外ボランティアを続ける意志は失わなかったんですね。

 本当はその2年の経験で終わりにしようと思っていました。知りたいことを知って満足はした。自分の無力さも実感した。だから助産師として日本で仕事を全うしようと思いました。でもあおぞらと出会って、考え方が変わりました。現地の人たちの想いに気がつけたのなら、たとえ微力であったとしても関わっていくべきだと教えてくれて、それができるプラットホームを作ってくれたのがあおぞらなんです。

ラオスに行ったことで人生観が大きく変わりましたね。

 それまでは仕事とプライベートは乖離していましたが、ラオスに行ったことで人生と助産師の仕事をリンクさせて、社会活動に助産師として関わっていけたら、もっと人生が楽しくなるんじゃないかなと思いました。

 それにこの経験をしたことで、役割や生き方が鮮明になってきたんです。おぼろげに心の中にあった「助けられる命を救いたいという想い」がハッキリとした形になって浮かび上がるイメージです。

あおぞらとはどのようなきっかけで出会ったのでしょうか。

 ラオスにあおぞらのメンバーが視察にきて、そこで初めて出会いました。その時、私は新生児蘇生法のレクチャーを現地でしていて、でもどうしてもうまくいかなくて……。そんなときにメンバーで小児科の嶋岡鋼先生が声をかけてくれたんです。嶋岡先生は蘇生のエキスパートで、ブータンやカンボジアでも赤ちゃんの蘇生をしていて、こんな方がいたんだって初めて知りました。励ましてもらったり、認めてもらえる存在に出会えたことは、心が折れそうだった私にとってすごく大きな出会いでした。その後も一緒に講習会をやり、人と協力をして何かを形にする成功体験を身をもって体感しました。助産師としてのアイデンティティを補足してくれるあおぞらと私がフィットしたんだと思います。

大竹さんあおぞらでの大きな出来事の一つとして、2019年11月にタンザニア新病院プロジェクトのためのクラウドファンディングを見事に達成しましたね。

 タンザニアの新病院プロジェクトは3年前から始まっていて、私が関わったのは、それこそ最後の機材の資金をクラウドファンディングで集めようというところからだったんです。お金を集めることに対してすごく不安で、やっぱり言いづらいことじゃないですか。でもいざスタートしてみると想いを持って寄付をしてくださる方が多くて……。タンザニアには行けないから、家庭と仕事がある中で深くお手伝いできないから、だけどお金を託すことで貢献できるならお願いしたいというメッセージがたくさん届きました。そういう想いを知ったら、お金をいただいて現地に還元することはいいことなんだと自信が持てるようになりました。

それだけの想いを受け取って見事に達成。メンバーの皆さんも喜ばれたと思います。

 達成できたら泣いてしまうかと思ったんですけど、意外とみんな冷静でしたね。喜びよりもこれだけのお金をいただけたという責任感が上回って、身が引き締まる思いでした。もちろん感謝の気持ちは持っているんですけど、それ以上に寄付してくださった全員の想いに責任感をもって応えていくんだという印象でした。

 ゴールしたのではなくて、ここからがスタート。じゃあ次はどう動くかをすぐに話し合って、誰も浮かれてる人はいませんでした。正直、もっとわーっと喜ぶかと思いましたけど、全然違いました(笑)。

これからも助産師として

今後の目標やこれからの活動についてお聞かせください。

 これまでいろいろな活動をしてきて、次に何をやりたいか考えたとき、海外ボランティアや国際協力をやる人間である前に、まず助産師でありたいと思いました。お母さんと赤ちゃんを支える存在でいたいという原点を見つめ直したいと思っています。だから、これからはあくまでも助産師として活動してきたいですね。その上で途上国の僻地医療と日本の離島医療、そしてあおぞらの活動にも関わっていきたいです。

大竹さん助産師として経験された多くのことを伝えていく使命もありますね。

 これからお母さんになる若い世代に、海外の現状を伝えて、命を大切にしてもらうことも重要なミッションだと思っています。

あおぞらのメンバーとしては何かありますか。

 あおぞらは2017年に設立された、まだ若い組織です。メンバーはみんなそれぞれ熱い想いを持っていますが、それを絶やさず長く活動を続けていくためにはしっかりとした組織づくりをしていく必要があると思います。組織としての基盤を整え、一人でも多くの笑顔を守るための活動を継続してできる形をつくっていくことが課題だと考えています。

(取材・文/村松隆太)

Information

【NPO法人あおぞら】

〒604-8152

京都府京都市中京区手洗水町647

トキワビル 4-B

TEL:050-7112-7508

HP:https://npoaozora.org/index.html

 

大竹さん

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