人間はやっぱり間違える。傷つきもする。そしてそういうときどうするか、を教えてくれるものが小説だ
「転校生」や「時をかける少女」などの映画監督、大林宣彦氏の言葉を紹介。夏目漱石の小説『夢十夜・草枕』の解説文にあった。「詩情豊かな美的世界」と題して漱石を語り、映像的世界の「夢十夜」を語り、非人情という美的な「草枕」を語る。この一文を読んだとき、「まったくだ!」と大きく膝を打った。
人間を知りたければ、小説を読むといい。
小説のなかには、さまざまな人間模様が描かれている。
へたなハウツー本より、よっぽどためになること請け合いである。
生き方を学べるし、世界の広さを知ることができる。
人間の小ささや大きさ、
一人の人生ではとうてい味わえない、滋味溢れる体験も、
人種も性別も超え、時空も超えた追体験も、
美醜、善悪、成功と失敗、
正しさだけでは説明のつかない教訓を得ることができるだろう。
大林監督は語る。
「世界に昼と夜があるように、また光と闇があるように、教科書と小説とはそれぞれ別の役割を持っていて、教科書から学ぶものが、要するに正しく、賢く、間違いなく、立派で威厳のある大人に育っていくことであるなら、しかし人間はやっぱり間違える、傷つきもする。そしてそういうときどうするか、を教えてくれるものが小説だ」
人生は、こうしたらこうなるという単純なものではない。
人間が誕生してからの歴史を振り返れば容易にわかる。
こんなに文明が発展しても、人間の悩みや欲望といった本質は変わらないのだから。
ビジネス書もいいだろう。
マニュアル本も否定はしない。
専門書も必要だ。
けれど、そこに小説があれば、もっと人生は豊かになるはず。
漱石も言っている。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
だから、詩が生まれ、音楽が奏でられ、絵画、文学などの芸術が生まれたのだと。
日本には「間」の文化がある。
余白を楽しむ心があるではないか。
小説を読めば、心に豊かな「間」ができる。
せわしない日常にこそ、一冊の小説をどうぞ。
(200126 第612回)