白玉は人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我し知れらば 知らずともよし
『万葉集』巻六・1018、元興寺の僧侶が読んだ歌である。飛鳥に創建され、のちに平城京に移された元興寺は、朝廷の保護を受けた有力な寺の一つ。ここに博識で修行も十分に積んだひとりの僧侶がいたという。優れた才覚をもちながらも世間に認められず、それを嘆いて詠んだのがこの歌だ。哀れを誘う歌だが、自分と重ねて頷くひともいるのではないか。
白玉とは真珠のこと。
貝の中にひそむ真珠は人に知られることはない。
知らなくていい。
だれに知られなくても、
自分の価値は自分さえ知っていれば、
世間に知られなくてもいいのだ。
と、強気で自分を慰める僧侶。
けれど、どんなに慰めても慰めても、諦めきれない思いがつのる。
認められるどころか、侮られてはやりきれない。
僧侶であっても、やはり人。
だれかに認められたいと思う気持ちはあるのだろう。
むかし、むかしの話である。
とはいえ、人の本質は今も昔も変わらない。
だれでもいい。
人知れず努力していることをわかってほしい。
一度はそんな風に思ったことはないか。
僧侶は歌う。
―― 白玉は人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我し知れらば 知らずともよし
がんばってもがんばっても、
だれも認めてくれないのなら、
自分の価値は自分できめる。
かつて、そうやって自分を励ましつづけた僧侶がひとりいたそうな…。
彼は知らずとも、
その努力は報われている。
天に、「万葉集」の選者に、そして後世のひとびとに。
(200206 第615回)