嫌だと感じるものには、何かあるものです。
詩人まど・みちおの言葉を紹介。これまでもいくつか取り上げてきたが、やっぱり100年以上生きた人の言葉は重い。子供の歌をたくさんつくったまどさんの言葉は、大人であって子供以上に平易な言葉が多いものの、しみじみと愛情深く、心に優しい灯りをともしてくれる。見つめる先には、いつも宇宙があったからだろう。
人間にはどうやら嫌なことほど忘れないという、やっかいな機能が備わっているらしい。
覚えておきたいことは簡単に忘れてしまうのに、である。
詳しいことは脳科学の専門家にゆずるとして、
なぜそれが嫌なのか。
何が嫌なのか。
嫌だと感じる理由を考えてみるのもおもしろい。
「いちばん記憶に残るのは匂いです。たまにかくれんぼなんかして、ものかげに隠れるとなんともいえない不思議な匂いがしてね。
いま考えると、ドクダミの匂いなんです。
ドクダミの匂いは、嫌でしょう?
でも私は親しみを感じます。
嫌だと感じるものには、何かあるものです。
すべてマイナスというものはありません」
まどさんが生きていたら、今の世の中をどんな目で見つめるだろう。
臭いものに蓋をするのもいい。
嫌なことから目を反らすのもいい。
それは、動物の本能だから。
危険を察知して、体が反応しているのだから。
けれど、コインに裏と表があるように、どんなことにも良い面と悪い面がある。
嫌なことにも、良い芽がかならず隠れているはず。
村田喜代子の小説『飛族』で、「楽は恐ろしい」と言っていた。
本土に暮らす娘が離島で海女として暮らす母の友人にウエットスーツやフィン、水中呼吸器を買ってあげたいと言うと、彼女は、あんなものは楽がゆえに危険だ、楽な分だけどんどん潜るから深みにはまりやすく、逆に命取りになると言う。
嫌だと感じることには、かならず何かが潜んでいる。
何かのサインである。
生命維持には、快も不快も必要不可欠。
今回は、「あわい」を紹介。
間と書いて「あわい」。古典読みなら「あはひ」。音の響きからでしょうか。「あいだ」と読むより、やわらかい感じがしませんか。続きは……。
(200326 第627回)