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紺碧の将

古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ。

松尾芭蕉

 『おくのほそ道』といえば、松尾芭蕉。俳句の大家である。その芭蕉さん、伊賀出身という。忍者の里の出自に加え、各地を旅する俳諧人ということで、「松尾芭蕉忍者説」がまことしやかに囁かれているようだ。真偽のほどはどうであれ、そうだったら面白いなあ、なんてあれこれ想像しながら『芭蕉の晩年力』を読んでみるのも楽しいかも。忍者だったかもしれない芭蕉さんの魅力にとっぷりハマってしまうにちがいない。
 
 学ぶとは「真似ぶ」こと。
 ひたすらに真似ることが上達の早道。
 職人の技術は教えられて身につくものじゃないとも、よく言われる。
 
〝最後の宮大工〟と称された西岡常一棟梁は、
「弟子を育てるときにしてやるのは、一緒に飯を食って一緒に生活し、見本を示すだけです」と言い、実際、そうだったという。
 弟子の小川三夫棟梁はこう振り返っている。
 
「(西岡)棟梁から『これはこうやって、ここはこうや』なんてこと、一つも教わってないもんな。二階の納屋に上がって、
『鉋屑はこういうもんや』

 って鉋を一回かけてその鉋屑をくれただけや」
 
 その鉋屑を窓ガラスに貼り、それと同じような鉋屑が出るまで、小川棟梁は毎日毎日鉋を磨き、木を削り、研究したのだそうだ。
 
 職人に限らず、何かを学ぼうとするときは手本がいる。
 その手本を真似るのは、その人と同じになれということではない。
 
「伝統とは形骸を継ぐことではなく、その精神を継ぐことである」と言ったのはロダンである。
 
 西岡棟梁の鉋屑を真似ながら、小川棟梁は西岡棟梁の精神を学んでいった。
 
 真似ぶ(学ぶ)のは、かたちであってかたちそのものではない。
 真似たいと思う対象の本質を真似る。
 その人(もの)が、何を見聞きし、何を考え、何を志し、どういう心持ちでそれを行っていたのか。
 
 最初はかたちを真似るところからはじめても、
 それはいつか、
 真似しきれない、真似の通用しない巨大な壁にぶつかるはず。
 
 そのときが、ほんとうの学びのはじまり。
「古人の求めたる所」を求める入り口になる。
 
 まずは、ただひたすらに真似てみよう。
 憧れの人になりきったつもりで。
 繰り返し、繰り返し、ただひたすらに。
 数年後、数十年後、想像を超える境地に立っていることに気づくはずだ。

 

●「美しい日本のことば」連載中

今回は、「藤浪」を紹介。

小さな紫の花房が風にたなびいている姿が波を思わせたのでしょう。続きは……。

●「日日是食日」連載中

(200518 第640回)

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