及ばざるは過ぎたるよりまされり
「タヌキおやじ」こと徳川家康の遺訓、最後を締める一文である。時代が家康を要請したとはいえ、粛々と時間をかけて敵をも味方につけながら天下にのぼりつめた家康を、「タヌキ」と呼ぶのは無理もないこと。
しかし、そのタヌキのおかげで古今東西稀に見る治世を作り上げたのも、これまた事実。タヌキが化かし魅せた江戸の百花繚乱は、今なお日本の根底に息づいている。
孔子が言った「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」をひっくりかえしただけの、「及ばざるは過ぎたるよりまされり」。
過ぎることは不足よりなお悪い。
不足のほうが、過ぎるよりも優れている。
どちらも同じことだが、
肯定文で締めくくっているだけに、
家康の言葉のほうが耳に優しい。
遺訓全文を紹介しよう。
人の一生重荷を負うて
遠き道をゆくが如し
いそぐべからず
不自由を常と思へば不足なし
心に望みおこらば
困窮したる時を思うべし
堪忍は無事長久のもと
いかりは敵と思へ
勝つ事ばかり知りて
負くる事知らざるは
害その身にいたる
己を責めて人を責めるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり
人生は長い旅路、急いではいけない。
不自由が当たり前と思えば、不満もない。
欲が出たときは、苦しかった時を思え。
怒りは敵。忍耐こそが長寿の秘訣。
勝ちしか知らず負けを知らないことほど危険なことはない。
反省こそすれ、人のせいにはするな。
足りないほうが、足り過ぎるよりも優っているのだ。
ざっと、こんな意味だろうか。
これ以上、何をかいわんやである。
大樹のような心構え。
なるほど、タヌキおやじは大樹の化身だったのか。
江戸という大樹が育ったのは、この遺訓があったからにちがいない。
行き詰まったら、大自然に身をゆだねてみよう。
太古の時代からつづく植物の生きる知恵がわかるかもしれない。
今回は、「藤浪」を紹介。
小さな紫の花房が風にたなびいている姿が波を思わせたのでしょう。続きは……。
(200522 第641回)