「耐える」ことは、しなやかに対応するということで、それは機械にはできません。
生命誌研究者であり理学博士の中村桂子さんの言葉を紹介。「ふつうの女の子」だったから「当たり前の日常を生きるというのはどういうことか」と、生命にとっていちばん大切なことを考えることができたのだと、中村さんは言う。その気づきが、「生命誌」という普遍的な研究につながったのだと。著書『知の発見「なぜ」を感じる力』から抜粋した。
東京都台東区千束、浅草寺北側の待乳山聖天から三ノ輪へむかう土手通り。
ここは、かつて吉原遊郭へむかう通りだった。
その門口に「見返り柳」という一本の柳が立っている。
遊郭で夢のような時を過ごした客が、門口で名残惜しげに振り返ったことから名付けられたという。
しなやかに風に揺れる柳は、しばしば女性に例えられる。
昔から「柳腰」や「柳眉」は美人の象徴とされてきた。
江戸の奇談集『絵本百物語』にも「柳女」という妖怪が登場するし、柳と女の幽霊を描いた絵画も多い。
それというのも、陰陽で言えば女性は陰、柳は陽(卯=東=太陽)の気をもっているからだそうで、「柳と女」は陰陽和すため切っても切れない深い縁があるのだそうだ。
その柳である。
川辺に立っていることが多いのも、柳は水に強く、水に浸っても腐りにくいうえ、根っこは網目状に広がり地盤を固め、垂れた枝が付近の水流を弱めて氾濫を防ぐ効果があるからだとか。
近年、河岸のコンクリートを剥がして柳を植える護岸工法も見直されているという。
「耐える」と聞くと、なにやら我慢くらべのようで辛くなるが、ほんとうは柳のような佇まいこそ「耐える」姿ではないかと思う。
「機械化された社会や先進的な中にいると、どうしても『耐える』ということができにくくなってきます。『耐える』ことは、しなやかに対応するということで、それは機械にはできません」
何か問題が起きたとき、制度や組織のせいにするのではなく、生きものが何十億年かけて上手にやってきた「耐える」ことを身に付ければ、しなやかに生きることができるのではないかと、中村さんは言う。
人間は機械ではない。
柳とおなじ生きものである。
「見返り柳」の下に立てば聞こえてくるかもしれない。
ふつうに生きることを許されず、それでも強くしなやかに生きた遊女たちの声が。
〝あちきらも人でありんす。あんさんも人でありんしょ。
みんなおなじ、いのちある生きものでありんしょう。
生きなんし。柳のように生きなんし〟
今回は、「夜振火」。夏の夜、川面に灯りをともすと光に吸いよせられるように魚が集まってきます。この灯火が「夜振火(よぶりび)」です。続きは……。
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(200909 第666回)