音楽は世界語であり翻訳の必要はない。そこにおいては魂が魂に話しかけてくる。
音楽の父、J・S・バッハの言葉だ。バロック音楽の巨匠で「大バッハ」とも謳われたバッハ。その崇高な音楽は聴くものを天上へといざなうかのごとく美しい。それというのも、バッハは先祖代々ルター派のプロテスタント。作曲するのも演奏するのも、ほとんどが教会音楽だった。神に一番ちかいところで神の調べを奏でつづけたからこその言葉だろう。
ネット社会の現代は国境もなく、地球の裏側まで声が届く。
言葉の壁も翻訳機がとっぱらってくれるし、至れり尽くせりである。
こんな時代が訪れるなどと、いったいどれだけの人が想像できただろう。
国と国、人と人、老若男女の距離は、手のひらや机上の液晶画面くらいまで、ほんの数十センチといったところだろうか。
ひそひそ話さえ聞こえてきそうじゃないか。
距離が近くなった分、耳に届く音はいい響きであってほしい。
美しい音色であってほしい、と願ってやまない。
でも、だからこそ、こちら側から発する音も気をつける必要がある。
『モーツアルトはおことわり』という絵本がある。
亡き父の悲しい記憶を描いた、あるバイオリニストの物語だ。
ナチス強制収容所でくり返されていた囚人による囚人たちのための演奏会。そのオーケストラの団員に彼の両親はいた。プロの音楽家だったからという理由でガス室送りから免れたものの、その代償として同胞のユダヤ人たちが死にゆくのを手伝うような役割を彼らは強制的に与えられる。到着する囚人たちの恐怖を和らげ、安心させるために、モーツァルトを演奏しろと。
そのときのモーツァルトは、囚人たちの耳にどのように聴こえただろう。
演奏していたオーケストラたちは、どんな思いでモーツァルトを演奏しただろう。
生と死のはざまで、モーツァルトはどんな調べを響かせたのだろうか。
これまでも、災害などの被害にあった多くの人が音楽に救われたと聞く。
音楽は精神をやすらかにし、魂をなぐさめる。
そしてまた、興奮剤になることも。
さて、自分が発する音色はどうだろう。
声の大きさは言うに及ばず、
足音、ものを置く音、扉を閉める音…。
それらは心の音が奏でるメロディー。
だからきっと、心が変われば音も変わるし、
意識的に音を変えれば心も変わり、魂と魂の交歓もあるはずだ。
今回は、「夜振火」。夏の夜、川面に灯りをともすと光に吸いよせられるように魚が集まってきます。この灯火が「夜振火(よぶりび)」です。続きは……。
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(200916 第667回)