なにかが衰えたり、使えなくなったりしたとき、諦めたり嘆いたりするのではなく、あたらしい可能性を探ること
ファッションブランド「ミナ ペルホネン」の代表でデザイナーの皆川明氏の言葉をもうひとつ。最近入手した彼の著書『生きる はたらく つくる』には、タイトル通り「生きる=はたらく=つくる」が彼の人生そのものであることが記されている。が、最終ページに向かうほどに、これはすべての人に共通する普遍的テーマではないかと思った。
群馬県前橋市の千代田町、弁天通りの商店街にちいさな傘屋がある。
創業115年の「セキネ洋傘店」。
この店の4代目店主、関根健一さんは傘の仕立てと修理を生業にして50年以上、もうすぐ60年になるという。
この小さな老舗店が今も特定の人々から支持されている理由は、「あたらしい可能性」を探り当てたからに他ならない。
「思い出の着物で日傘を作ります」
あることがきっかけで請け負うようになった「思い出の着物」でのオーダーメード日傘。これが、老翁の洋傘店に新たな光を差し込んだのだ。
陽の目を見なくなってしまった思い出の着物に光を当てた関根さんへの、着物からの恩返しなのだろうか。
古いものや使えなくなったものを手放すのは簡単かもしれない。
しかし、ともに歩んできた道のりや、そのものへの思いは消えはしない。
大切にしてきたものや、長い付き合いならなおさらである。
長い付き合いといえば、使い捨てのきかない自分の体がそうだろう。
生まれてこのかた寝ても覚めてもずっといっしょで、ポンコツになろうが動きが鈍くなろうが、代替え不可能なのだから。
これまでも代替え不可能な体を駆使しながら生きてきたのであれば、これからだってできないことはない。ただ駆使の仕方が変わるだけだ。
「なにかが衰えたり、使えなくなったりしたとき、諦めたり嘆いたりするのではなく、あたらしい可能性を探ること。あらたな可能性をさぐれば、精神はふたたびいきいきと動きだす」
マティスも晩年は筆を使わず、切り絵で絵を描くようになったという。それはもしかすると、目や手指の衰えによって得た新たな手法だったのかもしれない、と皆川氏。
見渡せば、植物も動物も、あらゆる生き物が新しい可能性を探り当てながら生きている。
不可能のなかにあって可能になるものを探り当てることは、
生命の誕生からつづく、生き物のはたらきではないだろうか。
今回は、「虫時雨」。時の雨と書いて「しぐれ」。降ったり止んだり、時のまにまに降る雨のことを言いますが、日本人の耳にはどうやら、しきりに鳴く虫の声も雨の音に聞こえるようです。続きは……。
https://www.umashi-bito.or.jp/column/
(200930 第670回)