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紺碧の将

チャーリーブラウンと仲間たち

2020.11.06

 我が家の居間にある8人掛けのテーブルは、いつの間にか無遠慮に私の物で占領されてしまった。一つのことをやり遂げられないで次に移ったりするから、未処理のものが積み上がっていくという雑然とした空間になってしまう。処理能力が衰えたということは、体力気力が付いていけないということなのであろう。
 ひとまず机を四分割することにした。パソコンの定位置は外せない。隣には日記帳やメモノート、切り抜きや返信用はがきなど毎日目を通したいもの、そして向かい側は狭くてもビーズワークの一時的ポジション、その隣には、つまりパソコンの向かい側には読みたい本が何冊か積んであるという感じである。まったく稚拙な解決法であるが、4脚の椅子を思いつくままに渡り歩くというスタンスは、私にぴったりはまっている。
 でもやはりこのようなルーズな区分では、月日が経つごとに「忘れ物」もたまってくる。

 「本」のポジションの一番下に『チャーリーブラウンディクショナリー』が完全に隠れてしまっていた。これは子供のための素晴らしい英英辞典でA4サイズ、3センチの厚さがある。50年近くも忘れ去られていたのが、これもコロナ禍のおかげ、再び日の目を見ることになった。
 3人の息子が小学生や幼稚園に通っていた時に購入したものだと思うが、米国滞在中だったか帰国してからなのかとんと記憶にはない。当時この本は、米国ではロングベストセラーを更新していた。
 半世紀も仕舞われていた画用紙のような紙の本は、どこかはかなげで湿気が抜けてミイラみたいだ。でも中身はきれいなままで、英文にカラーの挿絵が豊富についていて「ハロー」と私に呼び掛けてくる。一気に懐かしさと親しみの感情が私を満たした。チャーリーブラウンとその仲間たちはちっとも変わることなくそこにいるのである。取り分けビーグル犬のスヌーピーは人気者、犬なのに人間の気持ちが分かるのだ。いえいえ、彼は自分を犬だなんて思っていないようだ。

 

 この辞典の魅力は、子供たちが日常頻繁に使うであろうワードをAからZまで並べ、単語ごとにいくつかの異なった文章があって、その単語がどういうことを意味しているのかを解らせようとしているところにある。難しい言葉は出てこないので何とか私も理解出来そう、と興味深々でAから読み始めたがこれがなかなか面白い。文章もあの手この手のシチュエーションを駆使して想像力を喚起してくれる。想像力が豊か過ぎる(?)私はとんでもないところに行きついたり、脱線してみたり、クイズを解明していく気分に陥ってしまうこともある。降参という時は日本の英語辞書で調べることにもなり本末転倒である。
 こんなことがきっかけで、私は一日1ページを読み込み理解することを決心して、四分割した「本」のポジションに『チャーリーブラウンディクショナリー』を堂々と広げて毎日対峙することに相成った。Zまで読破するには400ページあるから1年はかかりそう、なんて大層な決心をしたものだ。英語圏の子供たちがどのように言葉を学んでいくのか是非私も追体験したいとの興味が湧いてきた。前日の復習をして新しいページに向かうという取り決めも私にはなかなか新鮮な試みに感じられた。
 ただ悲しいかな、私のおっちょこちょい的精神は、4脚の椅子を回り歩く生活の中でいつの間にか「本」のポジションを素通りする日も増え、辞典の上に新しい読み物が積まれ……という具合に、大層な計画も三日坊主よりちょっとましな十日目でチェックが止まっている。

 そして4か月も過ぎた今、熱しやすく冷めやすい自分を大いに反省して次なる手段に落ち着いている。その日、ぱっと開いたページのワンセクションだけ目を通すという、行き当たりばったりの私らしい苦肉の思い付きである。

 

 本日の行き当たりばったりを紹介したい。189ページの“lick”という単語を当てた。いくつもの例文が載っている。ライナスという男の子の手をスヌーピーがぺろぺろ舐めている挿絵が付いているからもっと分かりやすい。そういう訳で今日の正解、lickは「舐める」であった。ただしこれだけでは納まらないのがこの辞典の魅力。3行の空白があってこんな一文が載っていた。
 When sameone says,“I can lick you,” that means, “I can win if I fight with you” 分ったようで分らない……、子供向けの内容にしては奥が深い。私たちの言葉で言えば「なめんなよ」ということなのかしら。二種類の使い分けをちゃんと判らせようとしている試みにいたく感動してしまう。「いい仕事をしていますね」私が心を打たれることの基本である。

 

 タイミングよろしく、二週間前の新聞記事文化欄に、「スヌーピーと仲間たちを描いた米国の漫画『ピーナッツ』が70周年を迎える」という記事が報告されていた。日本にピーナッツが上陸してから半世紀がたつという。そしてずっと日本語訳を務めてきたのが詩人の谷川俊太郎さんだったことに今更ながら驚かされた。そしてなるほどなーと納得するものがあった。詩人としての谷川さんが紡ぎだす深く優しく鋭い日本語と、英語を翻訳するという技は決してちぐはぐなものではないのだ。創造豊かな人であるからこそ登場する子供たちや、犬、小鳥の気持ちを代弁することができるのであろう。
 記事の中で谷川さんは「作品には、明るいさみしさがあるんですよ」と語っておられる。そして「偉大なるマンネリズム」とも。原作者チャールズ・M・シュルツ氏(1922~2000年)の描いた世界は、子供たちの心のひだに、淋しいのになぜか笑えてしまう、言葉では語りきれない何かを残してくれたように思う。そして同じ気持ちの有り様が素敵な日本語訳によって私たちにも伝えられてきていることに、言葉や絵による繋がりの深さ、有難さを感じずにはいられない。

 

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