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紺碧の将
Interview Blog Vol.108

黒糖焼酎を広めるため、奄美の魅力を伝えるため、なんでも貪欲にやっていきたい。

酒屋まえかわ前川健悟さん

2020.11.20

 

大学時代を東京で過ごし、その後、大阪で働いていた前川健悟さんは、あることがきっかけで故郷の奄美に戻り、父親が作った黒糖焼酎の専門店に入ります。

黒糖焼酎とはいかなるものか、奄美を舞台にどんなことをしたいのか。知的好奇心のアンテナを広げ、現代の若者らしく活動を続ける前川さんに話をうかがいました。

奄美に戻り、父が拓いた道を進みたい

前川さんとはある意味、相思相愛の関係ですね。拙著や『Japanist』全巻をはじめ弊社の刊行物をたくさんお買い上げいただいたことなどからメールのやりとりが始まり、前川さんが黒糖焼酎の販売をされていると知って黒糖焼酎にはまり、今や我が家では毎晩黒糖焼酎を楽しんでいます。(※当サイト「多樂スパイス」で紹介している)

昨年の2月頃、江戸川区の「読書のすすめ」さんに伺ったとき、小川(貴史)さんから髙久さんの『葉っぱは見えるが、根っこは見えない』を奨められて購入したことがきっかけでした。

私が経営するコンパス・ポイントという会社の基本は、共鳴・共感がウィン・ウィンの関係に発展するというものです。はじめからそれを狙ってそうしていているわけではありませんが、振り返ると、そういう関わりが大半だということに気づきました。前川さんともそうですね。初めてお会いした気がしません(笑)。ところで、前川さんは奄美のご出身で、お父様が創業された「酒屋まえかわ」でお仕事をされていますが、はじめから家業を継ぐ意思があったのですか。

いいえ、まったくありませんでした。高校時代、野球をやっていたこともあって、スポーツ関係の仕事に就きたいという漠然とした思いはありましたが、具体的なイメージはありませんでした。大学時代は東京で暮らし、卒業してから大阪で働いていたのですが、いずれは奄美に帰りたいとも思っていました。

話はさかのぼりますが、そもそも「酒屋まえかわ」はお父様が創業されたのですか。

はい。父は両親が鮮魚店を営む家に生まれ、大学を卒業してから東京の酒類卸会社に就職しました。その頃、現在の「酒屋まえかわ」の2軒隣りで、祖父が持っていた酒販免許を借りて酒屋を営んでいた知人が経営困難になってしまったのです。その時、祖父が父に酒販免許を税務署に返納するか、あるいはその店を継ぐかの選択を迫りました。1990年のことでした。

そこでお父様はその店を引き継ぐことを選択されたのですね。

はい。東京から奄美に戻り、その店を引き継ぎました。ただ、当初は日用品・雑貨も扱っていて、現在の「酒屋まえかわ」とは違う、昔ながらのよろず屋的な酒屋でした。

ということは、なにかきっかけがあって、黒糖焼酎の専門店に業態を変更されたのですね。

店を引き継いで数年経った頃ですが、酒類販売の規制緩和が進み、多くの酒屋が岐路に立たされていました。酒類の小売業は既得権益として守られていた業界ですが、スーパーやコンビニでも扱うようになり、父はどうやって生き残るかを真剣に考えたと言います。

今回のコロナ禍と同じように、環境の激変によって変化を余儀なくされたのですね。で、お父様はどういう決断を下されたのですか。

当時、多くの酒屋が目先の売上を確保するためにこぞって低価格競争の路線に走りましたが、そのやり方では消耗するだけで長続きしないと考えた父は、安売りの土俵には乗らない、奄美群島でしか造れない黒糖焼酎に特化し、専門性を高めた業態に変えようと考えたようです。

とても賢明な判断だったと思います。ただ、具体的にどうすればいいのか、悩むところですよね。

父はまず、本土で専門性を高めた店作りをしている酒販店を視察したり、教えを乞うたりしました。同時に、奄美の酒蔵を一軒一軒訪ね、関係を構築し専門知識を高めました。僕が生まれてまだ数年の頃です。

素晴らしいですね。多くの人はどうしても周りの動きに惑わされるものですが、よほど信念がしっかりしていたのでしょう。

さらに黒糖焼酎の専門店としての品揃えを拡充するため、今の店があるところに移転して、売り場面積も広くしました。取り扱い銘柄は、200種ほどあります。

それが転機となって今の「酒屋まえかわ」があるのですね。ところで、話は戻りますが、前川さんは大学を卒業してから大阪で働いていたと言いましたね。

はい。日本酒の専門店で働きました。そして、あることがきっかけで、奄美に帰ろうと決意したんです。と言いますのは、自分が奄美出身だと言うと、じゃあ奄美のお酒のことを教えてほしいと言われるのですが、まったく答えられなかったんです。それどころか、大阪の人に黒糖焼酎のことを教えていただいたり。そのとき、自分の故郷のことをなにも知らない自分がとても恥ずかしいと思いました。これは本腰を入れて自分の軸をしっかり持たなければいけないと思いました。

奄美へ帰れば、素晴らしい師匠とお手本がいますからね。

父に相談すると、それもいいんじゃないかと。ただ、逃げ道として奄美に帰ってくるような選択はしないようにと釘をされました。

黒糖焼酎販売のプロになる

奄美に戻られたのは、いつですか。

2年前です。

それからどんなことをされたのですか。

奄美には全部で27の酒蔵があるのですが、与論島にある1ヶ所を除き、各島々の蔵を訪問し、メモ帳片手にそれぞれの蔵のコンセプトや商品の特長を覚えることから始めました。無人の離島を除き、奄美群島は奄美大島、喜界島、加計呂麻島、請島、与路島、徳之島、沖永良部島、与論島の8つの島で構成されているのですが、それぞれに個性的な蔵があります。たとえば「長雲」や「一番橋」などを造られている山田酒造さんは、製造過程のほとんどの作業をわずか二人で行っているため製造量はかなり少ないのですが、手間暇かけただけの個性があり、たくさんファンもいます。

「一番橋」は私が贔屓にしている黒糖焼酎のひとつです。夏は炭酸水を加えてソーダ割りに、冬はお湯割りに、寝る前はロックで、とどんな飲み方をしても合いますね。前川さんのお店から買わせていただいた黒糖焼酎は20種類以上ありますが、全部が全部、美味しいです。おかげでわが家では日本酒を飲む機会がぐーんと減ってしまいました。いまや家族も黒糖焼酎のファンです。

ありがとうございます。実際に飲んでいただいた方はそうおっしゃっていただけることが多いのですが、黒糖焼酎の知名度がまだまだ低いというのも事実です。現在、焼酎全体ではわずか約2%のシェアしかありませんから。

ということは、今後、大きく伸ばせる可能性があるということでもありますね。

そうですね。2000年頃、焼酎ブームが起きて、黒糖焼酎もその恩恵に預かりましたが、そのときをピークに、売上は下降線をたどっています。

糖という字が入っているために、甘いのではないか、糖分が多いのではないかと最初から敬遠する人もいるでしょうね。私は、黒糖ショウガ紅茶を毎朝飲んでいますから、黒糖そのものの良さは知っているつもりですが、おかしなことに糖と塩はすっかり悪者になってしまいました。本来、どちらも体を正常に保つためには必須の成分であるにもかかわらず、やみくもに悪者扱いするのは愚かなことだと思います。避けるべきは精製された糖や塩であるべきなのに……。飲んでみるとわかりますが、ほのかな芳しい匂いがありますが、けっして嫌味な甘い香りではありませんし、口に含むとまろやかですーっと体に入っていきます。辛口なのに不思議と角がない。次の日も驚くほど残りませんね。黒糖(サトウキビ)、米麹以外、よけいな物を加えていないからでしょうか。

そうですね。「本格焼酎」と呼ばれるものは国税庁に定められた原料と米麹と水以外のものは使用してはいけないという条件もあります。そして、焼酎は蒸留という過程がありますので、原料と米麹を発酵させた醪を蒸留することで、糖質が0%になるという性質を持っています。なぜ、糖質が0%になるかというと、蒸留という過程を経ることで、熱をかけても蒸発しない糖質は含まれなくなるからです。これは黒糖に限らず芋・麦・米などにおいても焼酎は後から何かを添加しない限り必ず糖質はゼロとなります。

なるほど、勉強になります。これからの抱負をお聞かせください。

黒糖焼酎のファンを増やすために、その特長をきちんと理解していただくよう、さまざまな機会を活かして発信していこうと思います。また、本土では黒糖焼酎を扱っている飲料店が少ないですから、地道に増やしていきたいですね。

コロナ禍ということもあり、これからはそれぞれの地方が特色を出して魅力度を上げる工夫が求められていると思います。黒糖焼酎と併せ、奄美の良さをPRしてください。

奄美は沖縄とちがい、観光地としてはどちらかといえばマイナーな場所です。しかし、それだからこそいい面もあります。俗化していないと言いますか、落ち着きのある島です。かといえば、私どもの店のすぐ近くの繁華街・屋仁川通りは、鹿児島県で天文館(鹿児島市の繁華街)に次いで賑わいのある繁華街です。もちろん、南の島ならではの観光スポットもありますし、アクティビティも楽しめます。奄美の魅力を伝え、奄美で造られた黒糖焼酎のファンを増やす。そのために自分ができることは積極的にやっていくつもりです。

ぜひ、黒糖焼酎ファンを増やしてください。てはじめに、私を黒糖焼酎のPR大使に任命してください(笑)。

ありがとうございます(笑)。もっと黒糖焼酎や奄美のことを勉強して、地元に貢献できるようになりたいと思います。

(取材場所/SENQ京橋 写真上から前川さんの父・晴紀さんと、「酒屋まえかわ」の店頭風景、渡酒造で黒糖を溶かす作業を体験、富田酒造場の甕、朝日酒造の貯蔵庫、西平酒造の樽熟成の貯蔵庫)

(取材・文/髙久多美男)

 

酒屋まえかわ

 

 

 

 

 

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