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紺碧の将
Interview Blog Vol.109

花に恋して25年。これからも感謝の気持ちを胸に、花の世界を楽しんでいきたい。

ナチュラリーブリティッシュフラワーアレンジメント中元泰子さん

2020.12.07

中元さん

 

ナチュラリーブリティッシュフラワーアレンジメント教室を中心に、イベントでの装飾・フラワーコーディネートなどお花の世界で活躍をする中元さん。2020年11月には栃木県日光市で開催されたイベント、旧大使館別荘(イタリア大使館別荘記念公園・英国大使館別荘記念公園)フラワーウィークの装飾を担当しました。両館内を栃木県の生産者が育てた花でクリスマスデコレーションしたこのイベント。今回はその準備真っ只中の現場にお邪魔をしてインタビューをさせていただきました。

【取材場所:イタリア大使館別荘記念公園 取材日:2020年11月13日】

レッスンとイベント案件、コロナ禍の状況

お花の世界でご活躍の中元さんですが、具体的にはどのようなことをしていらっしゃいますか。

 フラワーアレンジメント教室のレッスンが中心です。今回の旧大使館別荘フラワーウィークのようなイベント系のお仕事もご依頼をいただければやっています。

今回のお仕事はどういった経緯で先生にご依頼があったのでしょうか。

 (2020年)11月14日から11月23日までの間、奥日光の各名所をライトアップするイベントが催されるんです。それに併せて旧大使館別荘にお花を飾りたいという意向でフラワーウィークも企画され、今回お声掛けをいただいた次第です。きっかけは昨年、この旧大使館別荘で開催したイベントでした。プロカメラマンを講師に呼び、飾ったお花のテーブルフォトやインスタ映えする写真を皆さんに撮っていただくというものです。そのときに私が飾ったお花を見てくれた方が今回のライトアップイベントの担当で、お声掛けをくださったという流れです。

このコロナ禍でレッスンやイベントのお仕事には影響がありましたか。

中元さん 予定していたイベントがいくつか中止になりました。とても残念ですし、もったいないなと思いました。仕方のないことですけどね。

 でもレッスンの方は一度も休まずにできました。さすがにレッスン場に生徒さんを集めて行うのは無理ですから、やり方は変えました。課題を決めて、テキストを作成しレッスン内容と一緒にラインアプリで送る。使用する花材は個別に取りに来てもらいましたが、来るのが難しい生徒さんには送ったりして、そんな形で続けることができました。

このような状況にあっても、生徒さんは先生のレッスンを楽しみにしているんですね。

 こういう状況だからこそ、お花に癒やされるしパワーが貰える。だからレッスンがあってよかったと言ってくださります。お花のおかげで気持ちが沈まずに明るくいられるのは私も同じです。

運命の本との出会い

中元さんはお花の世界に入る前、新聞社に勤めていらっしゃったそうですね。

 写真部のスタッフとして入社して後に編集部へ。そこでイベント情報ページをまるまる一面担当し、自由にやらせてもらっていました。すごく楽しかったですよ。いろいろな人とたくさん会えるじゃないですか。普通ならお会いできないような人とも会うことができて。とても充実していたし、よい経験にもなりました。

中元さんもともとはお花の道を目指すよりも編集者や記者など、そういった道を目指していたのですか。

 学生の頃は他の職業を目指していました。何年かチャレンジしましたが、門は開かず……。しばらくはアルバイトをしていました。そんなとき、とあるイベントのお手伝いをしていると、写真部の現像室で働けるスタッフを募集していると新聞社の記者さんが教えてくれて。その紹介で新聞社の面接を受けて、採用されたんです。

結婚を機に退職されて、その後にお花の世界を進まれています。そのきっかけを教えてください。

 新聞社に勤めていた当時はバブル景気のど真ん中。お稽古ごとも何かやっていて当然という時代でした。それでフラワーアレンジメントを習おうと思ったんです。結婚を機に新聞社を退職することになったわけですが、私としてはそれで社会や人とのつながりがなくなることがとても嫌だったんです。それで結婚後はお花の先生になって、人に教えることができたらいいなと思いました。でも日本で習った活け方は私の感性には合わなくて……。しばらくモヤモヤしているところに、ある一冊の本と出会いました。その一冊が私を完全にお花の世界に引き込んだんです。

中元さん中元さんのお花の感性の起源ともいえるお話ですね。詳しくお聞かせください。

 その一冊というのが、1986年、イギリスのロイヤルウエディングでブーケデザインを担当したジェーン・パッカー氏の本だったんです。当時の日本人の眼には斬新な活け方でした。例えばファブリックを使ったり果物を使ったり。それまでのモヤモヤが吹き飛びました。こういうお花を習いたいと思ったらいてもたってもいられません。もうイギリスに行っちゃえって(笑)。それで渡英してジェーン・パッカー氏の元で2ヵ月ほど学び、サティフィケート(修了証)をもらって帰国しました。

お花の世界で25年

イギリスでは具体的にどのようなレッスンをしたんですか。

 市場にいって花を買い、それを一日中活ける。テーマは毎日変わり、試験もあります。英語は喋れないけどなんとかなると思って行きました。お花の用語は世界共通なので理解はできましたし、素晴らしい先生たちばかりで「お花最高!」と思いながら日々を過ごしていました(笑)。

中元さん得たものは大きかったわけですね。

 よく私の生徒さんから「先生はどれだけポケット(手法・選択肢)をもっているんですか」と驚かれます。それは海外で得た経験があってこそなんですよね。特に海外は当時からアートに対するリスペクトがあって、お花の世界でも同じでした。ロンドンではお花が生活の中に溶け込んでいて、映画で見るような風景がそこにはありました。自然観を大切にするアレンジにすごく触発されましたし、そんな環境に身を置くと、どんどん感性が刺激されてポケットの数が増えていくわけです。

 イギリスの他にはフランスにも勉強しに行きました。他にも何度か海外には学びに行っています。やはりそれぞれ地域や国ごとに違った特徴があり、ほんとにお花の世界は奥深く、学ぶことは尽きないんだなと感じました。

帰国してからはどのようにお花の仕事を広げていきましたか。

 渡英からの帰国がクリスマス時期だったこともあり、友達を集めてリース教室をやりました。思えばこれが初めてのお花の仕事でしたね。みんな楽しんでくれて、イギリスで学んだ私のアレンジにも興味を持ってくれました。それからは人が人を呼んで今に至っています。私のお花を見てくださった方が装飾やコーディネート、デザインのお仕事をご依頼してくださったり、レッスンに参加してくださったり、そういう形でつながっていきました。

お花の仕事をはじめられた当時、目標や展望などはありましたか。

 長くお花の仕事を続けられたらいいなと思うぐらいでした。お花の仕事はお金をたくさん稼ぐためではなく、社会や人とつながっていくための手段なんです。私の場合、経営の要素が入ってしまうと純粋にお花の世界と向き合えなくなってしまいます。普通はお仕事なのだからお金を稼ぐことを念頭に置かないと続けていけませんが、私の場合は夫や子供たちが理解して支えてくれたことが大きかったです。夫は「好きなことを楽しんで続けることが一番だよ」と、子供たちも「好きなことをやっていた方が若くいられるんだから楽しんで」と言ってくれます。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。だから私も純粋にお花の世界を楽しめる。この仕事を25年も続けてこられたのは家族をはじめ、生徒さんや周りにいる皆さんに支えられているからこそ。感謝の言葉もありません。

自分の立ち位置をブラさない

キレイに飾ってあるお花も、こうやって飾る前の作業を見せていただくと、完成するまでにいくつもの工程があり、水面下では大変な労力を必要としているんですね。

 特に今回のようなイベントとなると隅から隅までデザインを計算する必要があり、その下準備も大変な作業が発生します。場所・季節・シチュエーションに併せてデザインし、お花を集め、その下処理をする。華やかでキレイな仕事と思われがちですけど、実はなかなかの重労働なんですよ(笑)。

感性を磨くため、またはポケットを増やすために普段から心がけていることはありますか。

 日常生活の中でキレイなものをたくさん見て、その上でアウトプットを意識することです。ふと目にしたものに感動したとして、それをどうお花に活かせるか、そこまで考えるんです。あとは新しいことへの挑戦ですね。飾ったお花を写真に残しておきたくて、4年間東京に通ってテーブルフォトを学びました。お花がフレームの中でどう映るのかを見て感じる。その経験もまた、私の新しい感性になります。

中元さん場所やシチュエーション、そして季節によっていくつもの選択肢の中からデザインを決定する。そのためには経験を得ただけではなく、アウトプットするところまで昇華する必要があるわけですね。

 特にイベント案件では、実際にデザインしてみると、お花のみをキレイにアレンジして飾るだけでは完結しないことに気がつくんです。例えば今回の場合は足元に松ぼっくりを置いてみたり、花とテーブルがつながるような空間をデザインしています。デザインを考えるのはほんとに大変ですが、逆にそれがお花の一番楽しいところでもあるんです。

お花の仕事をするうえで、一番大切だと思うことはなんでしょうか。

 自分の「好き」をブレずに表現することです。イベント案件などでデザインを決めるとき、どうしても使いたいお花があるとします。でもそのお花は高価で、予算を超えてしまうから使えない。だから他のお花を代わりに使う。その結果、たとえデザインに問題がなかったとしても、見てくれた人が満足してくれたとしても、自分だけはこれが本当に表現したかったものではないことを知っています。そのためにすべてを俯瞰で見れるよう気を配ること、その旬の美しさを逃さないこと、最終的に初めのインスピレーションに近づけるよう、細部まで目を行き届かせる努力をします。

中元さんは先程、作品を見てくれた人の口コミでお花の仕事が広がっていったとおっしゃっていました。実際にお花の世界で25年もの間ご活躍をしている実績を見てもわかるように、他の誰でもないこの人に依頼したい、この人に教わりたいと思われるような表現をブレずに続けることが大切なんですね。

 信念を持っている人ほど、職人やアートの世界では長く続けていけるんじゃないかと思うんです。私もそうなりたいと思っています。これを作った人に頼みたい、このレベルの人に教わりたい、そこにつながっていくんですよね。私にもたくさんの尊敬する師がいます。その人たちはみんなその信念を持っていました。

 私の場合「好き」をブレずに表現し続けることで、ある日突然高い評価をいただけるようになりました。他人からの評価って、自分と見てくれた人との「信念の共感」によって生まれるものだと思うんです。お花の仕事を25年間続けてきた今となって言えることですけどね。

 今後は栃木の若いフラワーデザイナーさんや美しい花を作る生産者さんたちがピックアップされるような場面をたくさん作っていければよいなと思っています。

(取材・文/村松隆太)

 

中元さん

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