僕はと言うときその中に 僕でないものは含まれているのか
美術家の李禹煥(リ・ウーファン)の言葉だ。韓国出身の彼は日本を拠点に世界中で活躍する現代アートの先導者。表現者である彼にとっては造形も絵も言葉も、生まれてくる源泉は同じなのだろう。紡がれる言葉もアートだ。詩集『立ちどまって』から抜粋した。
中から一遍の詩を紹介しよう。
題「僕はと言うとき」
ーー 僕はと言うときその中に
僕そのものは含まれているのか
僕はと言うときその中に
隣の彼は含まれていないのか
僕はと言うときその中に
周りの物たちは含まれているのか
僕はと言うときその中に
見知らぬ山河は含まれていないのか
僕はと言うときその中に
昨日の死者たちは含まれているのか
僕はと言うときその中に
明日の僕は含まれていないのか
僕はと言うときその中に
僕でないものは含まれているのか
詩を解釈するのはナンセンス。
そのままを味わい、感じてみる。
考えてみる。
僕はと言うときその中に、何が含まれ、何が含まれていないのか。
「僕(私)は」と主張する自分。
「僕(私)は」と逃避する自分。
そのとき世界はバラバラに切り離されているのだろうか。
それともどこかで繋がっているのだろうか。
わかっているのは、
おそらく、
僕や私は、
一人きりなら「僕(私)」と言う必要はないということ。
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(210110 第694回)