人は迷っている時のほうが、何かに気づく。そのためらいの中にこそ真実との出会いがある。
おそらく現代の知の巨人と言えるだろう。松岡正剛。編集者、実業家、著述家など、さまざまな顔をもつ。その軸にあるは日本の美。生家は京都の呉服屋というから、納得もいく。松岡氏の幅広い活動や言動、思想哲学を眺めていると、どことなく小林秀雄を彷彿させる。これは法政大学総長との対談インタビューで語っていた言葉だ。
迷わない人生なんてあるのだろうか。
人間はきっと、迷う生き物。
イエス・キリストはどうかはわからないが、少なくともブッダも孔子も、迷いながら目覚めた人であったと思われる。
ソクラテスもプラトンもアリストテレスも、ゲーテもニーチェも、ベートーヴェンもゴッホも、西行も利休も、信長も家康も、誰もかれもが想像を超える迷い多き人生だっただろう。
そうでなければ、歴史に名は残らない。
もちろん歴史に名を残す人たちばかりではない。
民百姓、すべての人に迷いはあったはずだ。
迷いが多ければ多いほど、悩み苦しみ、いつ終わるともしれない暗闇の中で、ひとり孤独と向き合う時間ははてしなく長い。
その末に兆した一条の光。
その光は、後の世の闇夜を照らす。
かつて彼らが迷った道は舗装され、灯が煌々と照る街道になった。
しかし人というのはオモシロイもので、明るくきれいな道ばかりじゃ物足りなくなり、ひょいと暗い路地の方へ足を向けてみたくなる。
「ほら、あの道。なんだと思う?」
耳元で囁く好奇心と冒険心の声につられ、思わず見知らぬ道へ足を踏み入れてしまうのだ。
そして、例外なく、迷う。
すぐに引き返せば元の場所に戻れるが、ほとんどの場合、迷ったことに気づかない。
だから出口を探すしかない。
迷い、悩み、苦しみ、考えながら、いつ終わるともしれない暗闇の中を、目を凝らし、耳を澄まし、手で探り、足で探り、全感覚器官に意識を集中させて、わずかな光や音を捉えるのだ。
そう考えると、人の世はもしかすると、それぞれの真実に出会うために用意された、人の数だけ出口がある巨大な迷路なのかもしれない。
●知的好奇心の高い人のためのサイト「Chinoma」10コンテンツ配信中
今回は「空薫」を紹介。香道の世界ではよく知られている言葉でしょう。空が薫ると書いて「空薫(そらた(だ)き)」。香を焚いて室内に香りをゆきわたらせることです。続きは……。
(210129 第698回)