すべて、見えるものは見えないものに、聞こえるものは聞こえないものに、感じられるものは感じられないものに触っている。おそらく、考えられるものは、考えられないものに触っているだろう。
ドイツ・ロマン派の詩人、ノヴァーリスの言葉だ。貴族の家系に生まれた彼は、ゲオルク・フィリップ・フリードリヒ・フォン・ハルデンベルクという立派な本名をもつ。天才の多くがそうであるように、彼もまた28歳という若さで早世しているが、小説『青い花』は、その夭逝をちらつかせるかのように、この世の神秘を物語る。
―― 大切なものは目に見えないんだよ。
と、星の王子さまは言った。
―― 見えぬけれどもあるんだよ。
見えぬものでもあるんだよ。
と、金子みすゞは真昼の空を仰いで星のありかを指し示す。
―― 有無をいわさず引きつけ、永遠の願いをこの心に目覚めさせたものは、この世の時間の埒外にあるものだ。きみがぼくの目にどう映っているのか、どんなに不思議な形象がきみの姿のすみずみにまで浸透して、いつもぼくに向かって輝いているのかを、きみに分かってもらえさえしたら、年をとることを恐れはしないはずだよ。きみのこの世の姿は、この形象が宿す影なのだ。
と、ノヴァーリスは『青い花』で主人公のハインリヒに、恋人への愛を語らせる。
また、染色家の志村ふくみさんは、ノヴァーリスの言葉を引いて、色の奥義をこう語っている。ちょっと長いが引用させていただこう。
「花は紅、柳は緑といわれるほど色を代表する植物の緑と花の色が染まらないということは、色即是空をそのまま物語っているようにも思われます。
植物の命の尖端は、もうこの世以外のものにふれつつあり、それ故に美しく、厳粛でさえあります。……
本当のものは、みえるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、海や空の青さもまたそういう領域のものでしょう。この地球上に最も広大な領域を占める青と緑を直接に染め出すことが出来ないとしたら、自然のどこに、その色を染めだすことのできるものがひそんでいるのでしょう」
目に見えるものはわかりやすい。
わかりやすいがゆえ間違いも犯しやすい。
見えない心がゆさぶられるとき、
われわれは見えるもののなかに潜む大切な何かを感じ取っているのではないだろうか。
だが、神秘のヴェールをかぶった星々は、そうかんたんに素顔を見せてはくれない。
よくよく眼を見ひらいて、よくよく耳をすまさなければ。
今回は「いとしい」を紹介。漢字で書くと「愛しい」。愛しい我が子、愛しい人と、言葉ではうまく言い表せない切ない思いを、人はいつからか「いとしい」と言うようになりました。続きは……。
(210318 第708回)