その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ
千利休が茶の心得としてまとめた『利休百首』の一首めがこれだ。あえて語らずともわかるというもの。しかし、百首ある心得の冒頭に利休がこの一首をあげたことを考えれば、今も昔もかわらず人の意思というのはなかなかどうして強くはないということか。
―― その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ
何事も、その道に入ろうと決心すれば自ら学んでゆくもの。初心の志こそ、自身の立派な師匠となる。
意にそぐわないことを、他人から「やれ」と言われて続けていくことはむずかしい。
ましてや、自ら進んで学ぼうとは思えないだろう。
「こうしたい」「こうしよう」と心から思えばこそ、自ら学び、学んだことも身についてゆく。
染織家の志村ふくみさんは、染織の道を志したときのことを著書『一色一生』でこう回想している。
「私が2人の子を連れ離婚し、東京から京都の実家へ戻ったのは、二十年前のことになります。その苦しい人生の転機に立った時、ふと心に浮かんだのが、母が昔やっていた織物のこと――。けれど生活のために織物をえらぶのは無謀なこと、それよりも早く事務員でもなって、独立して生きていきなさいと周囲は申します。その反対の中で、ただ母ひとりが、何とかやってみるよう励ましてくれました」
ふくみさんは、母親のすすめで陶芸家の河井寛次郎のもとへ相談にゆくも、「子供を抱えての片手間でやれるような生半可な道ではない」と諌められ、藁をもすがる思いで木工家の黒田辰秋のもとへ足を運ぶ。
気持ちを伝えたふくみさんに、黒田はこう言った。
「工芸の仕事はひたすら『運・根・鈍』につきる」と。
「運」とは、自分にはこれしか道がないというもの。
「根」は、粘り強く一つのことを繰り返し繰り返しやること。
「鈍」は、材料を通しての表現である工芸は、絵や文章のような直接的で鋭角な表現ではなく、ものを通して表現する「鈍」な仕事。
そして、最後にこう締めくくる。
「私はあなたに織物をすすめることもやめさせることも出来ない。ただ、もしこの道しかないとあなたが思うなら、おやりなさい」
はたして、ふくみさんは決心した。
「苦労するなら、この道しかないという切実な気持ちで一杯になっていました」
志を立てるに時は選ばない。
立てようと思えば、いつでも立てられる。
しかし、立てたものを維持していくことはむずかしい。
ふくみさんの志が揺らがなかったのは、その道が「生きる手段」でもあったからだろう。
子を養う生活のため、生きるためにどうしても必要なことだったのだ。
その道に入ろうと決意すれば、生涯をともに歩む心強い師匠を得たも同然。
師匠の導きは、生きるための仕事を、やがて生きがいへと変えてくれるはずだ。
今回は「風光る」を紹介。 うららかな春の陽射しの中をそよ風が吹きぬけると、あたり一面がキラキラと光り輝いて見えます。それが「風光る」。続きは……。
(210402 第711回)