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紺碧の将
Interview Blog vol.114

技術は一流専門店並み、雰囲気と価格は大衆的な居酒屋「武蔵乃」の味をつないでゆく。

美味主菜「武蔵乃」市ヶ谷本店 女将 宮川洋子さん

2021.04.16

新宿区市ヶ谷田町に店を構えて36年、居酒屋「美味酒菜 武蔵乃」は働く大人たちの憩いの場。優しい笑顔で出迎えてくれるのは、名物女将、宮川洋子さん。「ママに会いに来たよ」と声をかける客も多く、女将とのやりとりすらも客にとっては美味い心癒される酒の肴。当の肴は居酒屋にありがちな冷凍食材は一切使わず、その日にあがった活きのいい魚の刺身や、旬にこだわった高級料亭さながらの一品料理。コロナ禍で多くの飲食店が消えていく中、労を惜しまず、価格を抑えつつも質のいい料理を提供し客足を途絶えさせない武蔵乃の、常連客を大切にする女将宮川さんの接客マインドをうかがいました。

古き良き居酒屋「武蔵乃」

「武蔵乃」は店を構えて36年ということですが、居酒屋で36年というのは長いですね。

居酒屋は20年超えたら老舗と言われます。店を構えても1年か2年で潰れるところが多いですね。特に大手チェーン店はオープンするのも早いけれど撤退するのも早いです。

うちの店は父が独立して始めた「酒蔵駒忠」という居酒屋の後進です。「酒蔵駒忠」は居酒屋チェーン店の先駆けで、駒忠の後に「庄屋」さんや「養老の滝」さんが出てきたんですよ。

父は最初に出した大塚の店のあと、四ツ谷、飯田橋と店舗を増やし、3店舗になった時点で独立制にし、夫婦で共に頑張った人にのれん分けをしました。そうやってフランチャイズ形式で「酒蔵駒忠」は最大89店舗まで増えました。

今も「酒蔵駒忠」は残っているのですか。

直営店は、兄がほとんど北海道へ移したので都内にはありません。今都内に残っているのは独立店舗です。

この店は、父が別に経営していたラーメン屋の屋号「武蔵乃」を引き継いで居酒屋として開業することにしたのです。

ラーメン屋もされていたのですか。かなり商才のあるお父様だったのですね。

ええ。父はちょっとした有名人でしたね。ハーレーに乗ったり、派手なことが好きな人でした。江戸川橋にあった本社ビルの屋上にハーレーダビッドソンを丸ごと一台上げていたこともあったんですよ(笑)。それがかなり有名で、「なるほどザ・ワールド」などテレビのクイズ番組にも取り上げられたこともあります。父は目立ちたがり屋だったんです(笑)。

他にもサントリーやサッポロビールなど大きな会社で講演をしたりと、いろんな活動をしていました。酒蔵駒忠の最盛期のことです。その後、父が亡くなったと同時に事業も傾いていきました。

お父様が亡くなったのはいつですか。

18年くらい前ですか。父は大正15年生まれですから、40歳くらいで独立し、76歳で亡くなりました。飲食業一筋の人生でした。

子供のころ住んでいたところは1階が父のお店で2階が自宅だったのですが、私自身ワイワイ賑わっているお店の喧騒を肌で感じて育ちました。

祐天寺で洋食屋をやっていた祖父母のところにもよく遊びに行きましたね。ビーフシチューが美味しいお店でした。帝国ホテルの村上信夫シェフは祖父の弟子なんですよ。

お祖父様は村上シェフの師匠なんですか。

ええ、祖父は19歳でフランスに渡りフランス料理を学んだ後、浅草にお店を出しましたが震災で焼けてしまって。それで、祐天寺に新しいお店をオープンしたんです。

そうでしたか。あの村上シェフの師匠が女将さんのお爺様とは驚きです。そういう家庭環境に育てば、飲食店への関心も自ずと出てくると思いますが、女将さんは最初からお父様のお仕事を継ごうと考えていたのですか。

はっきり考えていたわけではありません。短大を卒業する時、「お前には店を持たせるから」という父の勧めで、学校から声がかかっていた全日空の空港業務の就職の話を蹴って、父の店に入りました。そして、21歳のとき、飯田橋に「山荘」という山小屋風のお店を出してもらいました。

運営も任されたのですか。

いいえ、接客営業だけです。ちょうど「山荘」を出す前に主人と出会い、数年して結婚、子育てと続き、現場に復帰するまでのブランクが15年。その間に「山荘」は閉めて、主人が父の後を継ぎました。

主人はもともと山梨の医者の息子で、いずれ故郷に戻って病院を継ぐはずだったのですが、父が「洋子はまだ若いし、この仕事を続けてほしい。君がうちの仕事に入ってくれるなら結婚を許す」と言ったので、彼は両親の了解をとり、病院は継がず父の会社に入ってくれました。

私を想ってのこととはいえ、主人には飲食業はかなりのストレスだったんでしょうね。12年前に亡くなりました。

一緒に仕事をされていたのですか。

ええ。ここの名物親父、頑固親父で通っていました(笑)。お客さんが「ママ!」って言うと、自分がさっと行って「ママに何の用だ」って(笑)。その頃は今のような椅子ではなく背もたれのない四角い椅子で、間隔の狭い並びでしたから、後ろに椅子を退いている客がいると「もっと前へやれ」とか、すごくうるさい親父でしたね(笑)。

これまで長い期間やってこられて、この居酒屋業界の変転も見てこられたと思います。

それはもう、かなり変わりましたね。東日本大震災のあとは特に、この辺だけでもおそらく15件くらいは潰れていると思いますよ。もちろん潰れてもまた新たな飲食店が立ち並んでいますけれど、この辺ではうちの店が一番古くなりました。

客船「飛鳥」と居酒屋「武蔵乃」だけが誇る魚の神経じめ〝快眠活魚〟

市ヶ谷の「武蔵乃」が本店ということは、他にも店舗があるのですか。

宮川:西荻窪にあります。そちらの「武蔵乃」は私の息子がオーナーで、市ヶ谷の「武蔵乃」はうちから独立した大池学君のOMCという会社に譲渡したので、オーナーは大池君なんです(トップ写真左端)。「武蔵乃」としては同じですが、市ヶ谷店と西荻窪店のオーナーは別々なんです。

大池君は私の長女と幼稚園時代からの同級生で、3歳のころから知っている、ものすごくパワーを持っている子です。人を引き寄せる力があって、商才もある頼もしい存在。ですから、この武蔵乃も、本来なら息子に引き継ぐところを力のある彼に引き継いでもらいました。今はすべて彼に任せています。

つまり、市ヶ谷店の経営母体はOMCが担っているということですね。大池さんにお店を譲渡されたのはいつですか。

宮川:去年の2月に引き継いでもらったのよね。

 

大池:はい。引き継いだ矢先にコロナが始まりました。

そういうタイミングでしたか。試練でしたね。

大池:もうこうなると体力勝負ですね。どれだけ持ちこたえられるかという。

「Go Toイート」が始まった時、女将さんは「うちはGo To イートのポイントは使えません」とおっしゃっていましたよね。常連客が大半だからということでしょうか。

宮川:結局、どれだけリピートが多いかではないですか。また来たいと思ってくれるようなお店なら、そういうことに頼らなくてもいいですし。それに、うちの場合は初めてのお客様ばかりではちょっと困ります。

初めてのお客様はよく「おしんこ」を真っ先に頼まれるのですが、うちはお刺身や季節のものを売りにしていますので、まずは季節のものから選んでください、お刺身を一品でも召しあがってくださいとお伝えしています。おしんこやエイヒレ、冷凍のえだまめ、冷奴などでは、うちの店の良さは伝わりませんから。

もちろんメニューにあるのでお出しすることは出来ますけれど、まずは季節のものやお刺身から食べていただきたい。すると、おすすめする理由もわかってくださいます。

たしかにそうですね。わたしもこちらでは何度もお刺身をいただいていますが、食感が他のお店とはぜんぜん違います。肉質はぷりぷりで弾力があり、噛みしめるたび口の中で身が弾け、じゅわっと甘みが溢れてきます。しかも各段に安い(笑)。何か秘訣があるのですか。

宮川:その日にお出しするお刺身の魚はすべて、その日に市場で仕入れています。冷凍は一切使わず、豊洲から生きた魚を仕入れてきて、神経じめをするのです。生きた状態で神経に針をさして生きじめをする、「快眠活魚」というものです。この技術を持っているのは、客船の「飛鳥」と、うちの「武蔵乃」だけなんだそうですよ。

神経じめというのは、それほど難しいものなんでしょうか。

大池:特許があるくらいですからね。僕も横で何度も見ていますが、あれはできないです(笑)。刺す場所がわかっていても、刺せない。できる人は鍼師のように刺すポイントがわかるみたいです。

漁船などでやるしめ方は急所を叩いて殺す、という方法ですが、この神経じめは「眠らせる」。わかりやすく言えば、針麻酔です。

基本的にどんな魚でもできるそうで、マグロでも神経じめはできるんですよ。マグロの場合は針で眠らせたあと、泳いでいると錯覚させるように口中に放水するんです。

眠らせて、すぐにさばくのですか。

大池:眠らせたあと、しばらく置いてストレスを軽減します。魚がある程度リラックスした状態で、包丁を入れていく。そのときも、自分の力で血を出すように、失血させます。エラに少しだけ包丁を入れると、自然な血流によって失血していくんですよ。そうすると、自分の力で血を出すので血を出し切ってくれる。つまり失血死です。

その技術は、スタッフの井之本さんという職人が開発して特許を取られました。

毎日ランチタイムに来ていただいていた方で、今後は豊洲の方で魚屋を展開されますが、「武蔵乃」の鮮魚は引き続き井之本さんにお願いするつもりです。

特許を取得されたということは、勝手に営業で使ってはいけないということですよね。

大池:そうです。彼がこのお店で初めて神経じめをしたのは20年以上も前ですが、なかなかできる人はいませんね。針を打つ場所、深さによって魚が死んでしまうことがありますから。眠らせるというのは、なかなか難しい。魚の種類によって微妙に位置や深さがちがうんですよ。井之本さんはタチウオやオコゼ、カサゴなんかもやっていますが、それを常時できるようにしていくには温度管理など浄水システムが整っている必要があって、そうなると莫大な費用がかかってしまいます。

でも、これはすごく良い技術ですから後世に残していきたいですし、井之本さんとも神経じめの今後の発展や日本の水産のあり方についてもよく話し合っています。

創業以来のこだわりの味とおもてなしで「武蔵乃」の歴史を繋いでゆく

リピート率は全体のうちどれくらいですか。

宮川:8割は確実にリピーターですね。

 

大池:通り一遍というのが少ないエリアということもあると思います。もちろん料理の美味さや刺身の鮮度の良さもリピート率の高さにつながっているのは確かですが。

女将さんのお人柄もあるでしょうね。居酒屋として、また女将として、どういう店づくりをされていますか。

宮川:やはり料理へのこだわりですね。季節のお料理、お刺身、手作りのお料理にこだわるスタイルはオープン当初から変わりません。季節の天ぷらを注文されると専門店の質と変わらないのに値段が信じられないくらい安いと驚かれます。牛タンにしても他のメニューにしても、同じようにみなさん質と量と価格に驚かれて、とにかくこのコロナを乗り切ってほしいと応援してくださいます。

この店は何を食べても美味しいですし、コストパフォーマンスもいいです。新鮮さといい、料理の旨さといい、普通の居酒屋とはまったく違う満足感があります。メニュー開発はどなたがされているのですか。

宮川:料理長です。清水健君という、すごく真面目な若者です(トップ写真右端)。勉強家で、暇な時は包丁を研いだり、仕込みに時間をかけたりと手を抜かない。盛り付けも美しいですし、彼が料理長になってレベルが上がりました。

また、ここの基礎を作ってくれたのは深谷料理長という方で、その一番弟子が大池君です。出汁の引き方やスッポンのばらし方、細かな作業、コース料理などの手ほどきを直接深谷さんから学び、最後の最後までついていけたのは大池君だけ。深谷さんの味をすべて習得し、その薫陶を清水君も大池君から学んでいるのではないかと思います。清水君は神経じめも何種類かの魚はできるんですよ。

 

大池:14年間くらい、深谷さんから学ばせていただきました。以前は、おやじさんと深谷料理長と僕の3人で、この店を回していました。

基本的に「武蔵乃」は鮮魚もあり、和食も中華もある。特に偏ったコンセプトはなくて、何を食べても美味しい。専門ということではなく、逆に専門というものを持たないことが唯一のこだわりでしょうか。あくまでも居酒屋という立場は変わりません。

お店の売りでもあるスッポン料理も格別です。スッポンの出汁を使った納豆雑炊は来るたびに注文します。当然ですが、家で違う出汁で作ってもここの味のようにはなりません。

宮川:スッポンも生きたまま仕入れますからね。スッポンのコース料理などの価格もリーズナブルですし、大変喜ばれます。他にも「焼うどんを家で作ってもこんな風にならない」とおっしゃるお客様もいらっしゃいます。

 

大池:ここの焼うどんの特徴は生卵とバターなんですが、実はこれは50年以上前に「酒蔵駒忠」が発案したもので、創業以来の名物料理なんですよ。今は他のお店でも同じようなものはありますけど、この組み合わせは駒忠のオリジナルです。

全般に価格は抑えられていますが、と言って薄利多売という路線でもないですよね。

大池:「武蔵乃」は薄利多売ではないですが、もうひとつの業態、「はなび」という讃岐うどんのお店は薄利多売です。手打ちうどん一杯380円で、おかわり自由。本場の讃岐で勉強した、自社で捏ねている本格讃岐うどんです。

1日、ランチだけで150から160人くらい集客があり、正直、大変ですけどね(笑)。

昼は「はなび」の営業を、夜は「武蔵乃」で料理長と酒を飲みながら次の日の魚のことなどの情報交換をしています。

「武蔵乃」の経営を大池さんに引き継いでもらえたのはよかったですね。心強い後継者を得て、女将さんもホールに専念できるのではないですか。

宮川:ええ、本当に大池君には感謝しています。以前は経理全般もやっていましたが、今は彼にすべてお任せしています。この武蔵乃を引き継いでもらうときも、店の名前を「はなび」にしてもよかったんですけど、彼は「市ヶ谷はママが残ってくれるのであれば『武蔵乃』のままでいきます」と言ってくれて。ありがたかったですね。主人の仏壇に手を合わせて「大池君が継いでくれたよ」って報告しました。

父の代から続いた歴史を、私も絶やしたくありませんでしたから、本当に嬉しかったです。せっかく彼が引き継いでくれたものを潰すわけにはいきません。市ヶ谷は私と清水君で力を合わせて、これからも守っていきたいと思います。

(写真上から:武蔵乃三人衆、店内、壁の文字、刺身、春野菜天ぷら、季節のメニュー、のれん)

(取材・文/神谷真理子)

Information

【美味酒菜 武蔵乃 市ヶ谷本店】               

〒162-0843 東京都新宿区市ヶ谷田町1-2 松下ビル1F

TEL・ FAX:03-3260-5566 

営業時間:月〜金 昼11:30〜14:00(L.O 13:30)    

         夜17:00〜23:30(L.O 23:30)

                  土   17:00〜23:30(L.O 23:30)         

定休日: 日・祝

 

【美味酒菜 武蔵乃 西荻窪店】               

〒162-0053 東京都杉並区西荻南3-24-1 西荻マイロード内

TEL・ FAX:03-6915-0332

営業時間:月〜土 17:00〜24:00(L.O 23:00)         

定休日: 日・祝

 

【はなび】               

〒101-0031 東京都千代田区東神田2-10-14
TEL:03-5829-4789
URL:http://hanabi-omc.com

 

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