「一」の積み重ね
書評家マイケル・ディルダの『本から引き出された本』の訳者、高橋知子さんが寄せた「訳者あとがき」にあった言葉だ。
翻訳者という職業は、ともすると作家以上に言葉のセンスを強いられるのではないかと思うが、彼女はディルダ氏の幼少期からの膨大な読者体験を線路の枕木にたとえて、「一冊読むこと」は「自分の進みたい方向に伸びる線路の枕木を一本敷くこと」とした。さすがである。
一冊の本を楽しんで読む。
大切に読む。
そして、つぎの「一」へ。
読書には「一」を重ねる楽しさがあると、高橋さんは言う。
ディルダ氏の読書体験は、この「一」の積み重ねによるものであり、進みたい方向へ自らの手で一本ずつ枕木を敷いて作り上げた線路のようだと賞賛する。
これを読んだ時、なるほど人の営みは「一」の積み重ねだと合点がいった。
読書によらず、すべての行動は「一」の繰り返しであり、人生は「一」の連なりで出来ている。
たとえ誰かが敷いたレールだとしても、その上を歩くのは自分の足だ。
一歩を踏み出すには自分の意思が必要であり、歩き続けるには体力や気力も必要になる。
極寒のシベリア鉄道を歩かされるよりも、「スタンド・バイ・ミー」の少年たちのように進んでレールの上を歩いたほうが楽しいに決まっている。
1分1秒、同じ時間などない。
一日一日、同じ日もない。
日々を好日にするには、「一」を楽しめるかどうか。
「一」 は「はじめ」であり、わずかでありながら最上でもある。
そう思えば、今この瞬間も、最上に楽しい時間を生み出すことができるかもしれない。
今回は「踏青」を紹介。 「踏青(とうせい)」とは、文字どおり青きを踏む。春先の萌え出た青草を踏んで野山を歩き遊ぶことです。続きは……。
(210504 第717回)