運用の妙は一心に存す
中国南宋の武将、岳飛の言葉だ。『宋史』の中の「岳飛伝」にある。中国史上、もっとも愛されたと言われる武将、岳飛。文武両道、清廉潔白、忠義に厚い。その死後は『三国志演義』の関羽と並び称され神として崇められている。〝最後の英雄〟として今も本国では絶大な人気を誇るという。
―― 飛曰く、陣してしかるのち戦うは、兵法の常なり、運用の妙は一心に存す。
(岳飛が言うには、戦陣を構えてから戦うのは兵法の決まりだが、その時に応じて活用するのは人の心にある)
人が人らしく生きていくには、規律やルールは必要なものだ。
会社に入れば規則やマニュアルといったコンプライアンスもあるだろう。
それに従うのは、きわめて正しいと言える。
しかし、それに縛られて身動きが取れないとなったら、これはいけない。
ルールには反するけれど、ここはこうした方がうまくいく、ということはよくあること。
にもかかわらず、良くしようと決めたルールに縛られ、最悪の結果に終わるというのは本末転倒ではないか。
見極めるべきは、本来の目的は何か、ということだ。
学校で学んだことと、社会に出て体験したこととでは、はたしてどちらが役に立つだろう。
シミュレーションで叩き込まれたマニュアルは、実際の現場でどれほど生かされるのか。
歴史を振り返っても、「思わぬ事態」や「不測の出来事」が招いた終焉は多い。
先の大戦の敗因も、学術エリートたちの「思わぬ事態」を想定できなかった指揮にあったことは誰の目にも明らかではないか。
「ある場合には運命というのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている」
と言ったのは、村上春樹氏の『海辺のカフカ』に出てくるカラスと呼ばれる少年だった。
運命は局地的な砂嵐のように、予測に反して絶え間なく進行方向を変える。
だから、運用の妙は一心に存すのである。
戦術や規則はそれだけを頑なに守ればいいというものではない。
実際の役に立たなければ絵に描いた餅。
法則も活用してこそ価値があるというものだ。
今回は「玉の緒」を紹介。「玉の緒」とは、いのちのことです。玉は魂をあらわし、緒は肉体と霊魂をしっかりつなぎとめる紐のこと。つまり、心と体がひとつになった生命体が「玉の緒」です。続きは……。
(210522 第721回)