天行は健なり。君子もって自彊して息まず
天行は健なり。君子もって自彊(じきょう)して息(や)まず。
これは易経の一節で、「天体の運行(天行)は、常に規則正しく動き時を刻み誠に健やかである。人々の上に立つ君子たるものは,この健やかな天の運行を範とし、自ら努め学問に励み職務を全うし,怠ることなく健全であるべきである」というのです。君子とは立派な人、つまりリーダーのあり様を説いたものだと言えます。
リーダーのあり様とは
中国古典では、「陰陽論」をベースにしながら世界を「天地人」で捉えています。天は陽の徳をもって率先して地に働きかける。つまり天が地に雨を施し、地はその施しに従い、草木百物が発生する。天が地に雨を降らさなければ、地は砂漠のようになって、人間を含めて動植物は何も生息できない。その雨は仁であり愛情である。天が地に雨を降らせるように、上の者が下の者にまず愛情をかけることで、上下両者は心が通じる。上の者が下の者から愛情をかけられることを待っているようではいけない。それでは自然の摂理に合わない。天のあり様を持って、リーダーのあり様とする。
雨というものは、洪水や津波を引き起こす脅威でもありますが、水無くして生き物は命を育むことはできない。梅雨のシーズンはジメジメした日が続き、身も心も重く感じます。しかし、田植えが終わり稲の生育に欠かせないの水がたっぷりと供給される大切な時期といえます。稲を始め植物は地球上の動物の食物であり、これこそ天の恵と言えるでしょう。
陰と陽による価値創造
天と地はそれぞれが単独では何も生まれないが、天が雨を降らせ、地の力が活きる。つまり陰と陽が交わることで万物が生まれる。オスとメスが協力して子供が産まれ育つ。いい上司がいることで部下の力が活かされ、いい部下を育てることで上司の存在価値が高まる。親子関係で言うなら、子が生まれてはじめて親になれる。親が子を育てるが、子を育てることで親も成長する。政治家や役人、経営者は国民や市民、社員がいるからその地位につける。政治家や経営者は自分の権力や地位をひけらかすのではなく、国民や社員の幸せに貢献するからこそその価値が高まる。地位が高いから偉いのではなく、自分が他人に活かされていることを忘れてはならない。この真理をしっかりと認識する必要があります。
雨は龍がもたらす
京都や鎌倉の禅寺に行くと、建物の天井に龍が描かれています。また中国や韓国の時代劇や映画では、皇帝や王様は前面に龍の刺繍の入った衣装を着ています。つまり、皇帝や王は龍のような存在であるというのです。
では龍とは何か。もちろん想像上の生き物なのですが、龍は空に上り雲を従えて、雨を降らせる役名を担っているのです。天には口も手足もないので、龍に雨を降らせる役目を与えたというのです。言い換えると、皇帝や王は天から地上の人や動植物に徳(恵の雨)を与える使命を託された存在だということです。龍のように大きな力を持ち天に舞い上がるのは、自分のためではなく雨を降らせ地上の生き物を幸福にする目的があるのです。政治が悪いと天が怒り、天災を引き起こして皇帝や王にNGを突きつける。それが天罰が下るということです。
リーダーは龍
龍はリーダーの象徴で、政治家や経営者といった世のリーダーは国民や市民、社員の生活を守る使命があります。人々の生活は毎日途切れることがないし、次々とさまざまな問題が起こってきます。だからリーダーは休むことなく勉強し努力し続け、社会の要請に応えなければならない。よって「君子もって自彊(強/きょう)して息(や)まず」となるのです。
私の学生時代からの友人で、国土交通省で働いていた人がいます。国土交通省の仕事は道路や鉄道、航空機など社会インフラの管理、治水、そして海上保安まで多岐にわたります。いつ何時、何が起こるか分からないが、何があっても国民の生活は守らなければならない。そんな使命を帯びているので、彼は職場までは1時間以内に行けるところに住んでいます。地震など有事においても直ぐに駆けつけられるよう、宿泊の伴う旅行にもほとんど行きませんでした。銀婚式の年に家族で1泊2日の国内旅行に行き、退官後にやっと10日ほどの海外旅行に行けたというのです。正しく「自彊(きょう)して息(や)まず」、立派な人間です。
リーダーは一日にして成らず
易経では、リーダーになるための6つのステップを描いています。
1)「潜龍」地中深く暗い淵に潜み隠れている龍。
2)「見龍」明るい地上に現われ、目がみえるようになった龍。
3)修養に励み日進月歩で成長をする龍。
4)修養を極め今まさに大空へ昇ろうとする龍。
5)「飛龍」天を翔け雲を呼び雨を降らす龍。リーダーとしての使命完遂。
6)「亢龍」奢り高ぶる龍。昇り過ぎた龍はやがて力が衰えて降り龍になる。
このようにリーダーになる成長のステップ、そして引き際の大切さも説いています。
孔子は論語に「我に数年を加え、五十にして以て易(えき)を学べば、大なる過ち無かるべし」と説いています。この意味は「私がもう少し年を重ねて50歳になった後で易経を学び直せば、大きな間違いなどしなくなるだろう」ということです。天と地、そして龍。世の中の変化の法則、リーダーシップ論、人生論を説いている易経ですが、先人の自然への観察眼の鋭さとそこに人間のあり様を見出す想像力には感嘆させられます。我々にはこの先人の叡智をしっかりと活かしていく使命があるのではないでしょうか。