声を磨こう
「木曽さんは声がいいですね」。結婚して以来このような言葉を何人かの人から頂戴した。最初はわが夫であった。それから、ぽちっ、ぽちっと友人から。すごいのはタクシーの運転手さんから「奥さんの声はいいねー」と言われた時は本当にたまげた。随分と昔のことである。
これは私の自慢話ではない。くぐもった様な、カラスが風邪を引いたような我が声の音質には、小学生の頃から少なからず失望感を抱いていた。合唱コンクールや書道大会などが盛んな時代であったが、何故か私はメンバーとして、代表として選ばれることが多かった。真面目だけが取り柄の私は、数のうちの一人として便利な存在だったのかもしれない、と冷めた見方をしていた。ついでに音痴とまではいかないが、「はずれるなぁ……」と自覚することが今でもある。
そんな訳で自分の声と歌声にはかなりのコンプレックスを抱きながら大きくなったので、声がいいと言われても「ふーん、そうなの」という程度の反応で通り過ぎてきた。自分にとってどのように些細なことでも「数少ない褒められたこと」にはもう少し関心を払うべきであった。
コンプレックスの裏返しに「憧れ」というものが存在する。70歳も過ぎた頃、何を血迷ったのか私は突如『シャンソンを謳おう』のNHKカルチャースクールに入会していた。「私の声はシャンソンを歌うのに向いているかも」、誰かが知恵をくれたのか、くすぶっていた憬れというものに火が付いたのか、迷うことなく私は12回続くレッスンに通ったのである。若い女性の先生はフランス語も流暢で、私たちがよく知っている歌を軽やかにそして楽しく指導し、順調な滑り出しであった。しかし回を追うごとに私は重要なことに気が付き始めていた。私を入れて10名ほどの生徒さんは普通のおじさん、おばさんばかりと安心していたのは大間違い、皆さん大のシャンソン好きでそれはそれは楽しそう。そして「この人はプロ?」と思われるご婦人、フランス語で謳いあげる紳士、(突然婦人、紳士に変更)私の驚愕ぶりはどうぞお察しください。
そして私に追い打ちをかけたのが、レッスンの後半に独唱が待ち受けていることであった。確かにシャンソンの真髄は独りで歌うことにあった。
ところで私はどうであったか……。ご想像ください。締めくくりの12回目はそれぞれの友人を誘っての「シャンソンお披露目パーティー」だとか。私はお休みをした。70歳にして久しぶりの登校拒否と相成った。
私はここ10年ほど毎週日曜日には教会へ通っている。クリスマスが近づくと11月は『聖歌隊』の練習活動が活発になる。小さい教会だから、聖歌隊の人数も14~15名の少人数で各パーツを受け持つとどこかが弱くなったりして苦労する。指導する人も私たちの仲間から、オルガン奏者も何人か交代で奉仕に当たってくれる。私は健康維持のため参加して、厳しくも楽しいクリスマスソングのレッスンに加えてもらっている。
今年もコロナを心配して聖歌隊の活動は中止となりとても淋しい。その代わり、ビーズで作るクリスマスツリーが人気で、注文に応じきれていない。座ったきりの手仕事作業は、同じ体を使うにしても内向きに固まってしまう。
賛美歌を歌う時は姿勢を正してまっすぐ声を出す。神を賛美する気持ちを込めて。よく声が通るときは健康な証拠、ちょっと辛いときは体調を注意してみる。こんな配慮も毎週日曜日の私の心がけである。
声を出すのが億劫になるこの季節は、歌を歌ったり、好きな本を朗読したりとの心がけは大切かもしれない。その昔、夫が褒めてくれた私の声も加齢とともに聞き取りづらくなっていることであろう。明瞭な言葉でまっすぐ気持ちを伝えることはとても大切、テレビでは健康情報があふれているが、声のトレーニングにも自分流のレッスンを試みてみたい。
お肌だけではなく声も磨こう! まだまだ憧れのシャンソンを夢見続けていたい。
クリスマスツリーのある風景
(写真/大橋健志)