アナライズ・ウクライナ(『ゴルゴ13』172巻より)
中学生の頃であったか、世界史の授業で「キエフ」「ハリコフ」という地名が出てきて、どうしてか今でもキエフと言えば対でハリコフが出てくるのである。そんなに勉強熱心であったわけではないのに、そこはウクライナというはるか遠い国の大きな穀倉地帯である、という記憶とイメージが私の脳の底にしまわれている。
ずっと後でイタリア映画、ビットリオ・デ・シーカ監督の名作『ひまわり』の中に映し出される広大なひまわり畑は、ウクライナが舞台であり、そこには第二次世界大戦で戦死した幾千という兵士の屍が埋まっているという。哀切のメロディーと共に燦然と輝くひまわりに私は圧倒され息を呑んだ。それでもそこは依然として遠い国の物語であって、映画を通して私はただ感動していればいい人であった。
昨年の9月に劇画作家のさいとう・たかを氏が亡くなったことは、私たち夫婦にとって衝撃的なことであった。知る人ぞ知るかの有名なハードボイルド劇画『ゴルゴ13』の生みの親であり、既刊は現在204巻に達している。第1巻は1968年であるから、およそ半世紀以上の長きに渡って私たちを興奮のるつぼに落し入れたこれもまた名作なのである。
ゴルゴ13はコードネームであり、名前はデューク東郷と名乗っている。依頼人からの仕事は納得したものだけを受け、その代わり仕事は完璧にこなす必殺のスナイパーである。
ここ10年ばかりこの本から離れていたが、作家の訃報に接して、夫のファン魂に再び火が点いた。すでに我が家には160冊くらい揃っていて、2階の踊り場の本棚に静かに収まっている。折角だから全巻揃えましょうというわけで、近頃は3日に空けずゴルゴがアマゾンから届く。
どちらかと言えば女性向きの読み物ではないけれど、何故か私は世界を股に駆け、眼光鋭く無口なゴルゴ13に「ハードボイルドだなー」と万全の信頼を寄せているのである。
でもこの本の魅力は他のところにある。世界情勢、経済状況、人間関係が複雑に絡み合い、進路を絶たれた人達の必死の駆け込みどころとしてのゴルゴ13を生み出した。当たらずも遠からず、という物語を世界中に取材をしていて内容はとてもリアルである。
久しぶりに手に取ったのはタイトルに惹かれて「アナライズ・ウクライナ」172巻であった。大統領派と首相派が対立し紛糾するウクライナの議会、それを打開するため総選挙が実施されようとした時に、大統領と首相の狙撃未遂事件がほぼ同時に発生する。ゴルゴの仕業か? いや、絶対に彼ではない。未遂ということはあり得ないのだから。老練なアナリストのアナライズとはいかなるものか?
全世界が危惧していたロシア・ウクライナ戦争がついに勃発した。ウクライナの惨状をリアルタイムで私たちはただ無為に見せつけられている残酷さを思う。戦況が長引く様子は、キエフ、ハリコフだけではなく、オデッサ、リヴィウにまで及んでいることが伺える。
リヴィウはウクライナ最西部の都市で、すぐ隣国はポーランドである。この地方は様々な人種や、主義主張の異なる人々が集っていて総称として”ガリツィア地方”と呼ばれていた。第二次世界大戦以後も、独ソ二つの力に振り回され今でも紛争が絶えないという。
「アナライズ・ウクライナ」ではこのような歴史が下地となって展開していく。親欧米派の大統領と親ロシア派の首相を同時に威嚇する目的は? 老アナリストの読みは続く。
ガリツィア地方は長い間の過酷な戦いで、元兵士の中には最右翼思想に流れる者も多いという危惧をはらんでいる。どちらが勝利しても争いは続く。両方を威嚇したことは祖国ウクライナに対し欧米にもロシアにもなびいてはいけない、という警告であろうと老アナリストは推測する。
しかし民族自立と排他に取りつかれると、独立ではなく孤立に追いやられるのではないか。今はその危険性を避ける為にはガリツィア師団の最長老を消し去ること以外にはないのではないか。これがゴルゴ13への依頼となった。(172巻は2014年初版発行)
「急がば回れ」という教訓めいた諺がある。まさにこのことだなーと私は納得した。犠牲と理不尽を伴う戦いは必ず不満という火種が残り、くすぶり続け、何かがきっかけで戦争への道をまっしぐらに進むことになる。
何かというと「核」をちらつかせる国がある。卑怯な戦法だと思うが、「持てる国」と「持てない国」あるいは「持たない国」が同じ土俵で話し合いを、と言うのも不平等な話である。こちら側の人はあちら側の人ではないのですか? テレビ画面を見ながら、あちら側の核戦争の様子をまるで映画を見るように眺める人々の罪を神はお許しにはならない。
ロシアのウクライナ進行にストップをかける名策はないものでしょうか。天国からさいとう・たかをの”アナライズ・世界戦争”を届けてほしいと私は待っている。
ハナミズキ
写真/大橋健志