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私たちについて
紺碧の将

人間という愚かな生きもの

2022.07.11

 7月のある金曜日の昼下がり、外は猛暑だけど、家の中はエアコンが適度に効いていて快適である。静かだし、ビーズワークに没頭できる誰にも邪魔されない私の大切な時間だ。そこへ突然の電話音にビクッとしてしまう。電話の向こうで夫の声がする。

 「テレビを見た? 大変なことが起きてるよ」。電話音と大変なこと、にすっかり私のペースが崩れ現実に引き戻される。何事か、とテレビをつけると、どこにでもある普通の街並みの風景と人の波、夏の昼間の少し弛緩した緩やかな空気が流れていた。

 

 そこに映し出された「安倍元総理襲撃を受ける 心肺停止状態」の見出しがあまりにも不自然すぎる。私は心の中で「しまった!」と叫んでいた。何がしまったなのか……、油断である。私は油断していたな、と心から痛恨のため息を吐いた。日本中が油断していたのだ。あり得ない事が起ったわけではなく、十分に想定できることを私たちはいとも気軽に見過してしまっている。

 今も続いている「ロシア・ウクライナ戦争」の信じられない悲劇の現状を、私たちは徐々に見慣れた戦争風景として、無感動になりつつあるのではないか。これはとても恐ろしいことである。遠い国の出来事ではなく、じわじわと世界戦争に至る道へと侵食されていく地球の光景を想像することはできる。

 

 安倍晋三さんは、歴代総理の中では最も長くその任を務めた方である。外交官総理と名づけたいくらい休みなく世界主要各国を歴訪された姿を思い起こす。複雑困難な世界情勢を鑑みて、安倍スマイルで日本という良き国を紹介し、世界平和に貢献できる国として根回しをしてこられたと思っている。そしていつの間にか「敗戦国日本」という後ろ向きの思いから立ち直り、スポーツ、音楽、文学、そしてあらゆる分野で世界を目指す日本人のニュースが溢れるようになった。

 その安部さんの尽力と願いを根底から踏みにじることが起ってしまった。日本人として悔やんでも悔やみきれない思いであるが、安部さんはこの何十倍、何百倍の悔恨であろう。やわで無防備な日本を世界に曝したのだから。

 

 鬱々と冴えない時間を過ごし、日曜日が来た。毎週私は教会へ通っている。その日の説教は『マタイによる福音書14章1-12』で、「洗礼者ヨハネ、殺される」の箇所であった。

 領主ヘロデの誕生日にへロディアの娘(サロメ)が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。それで彼は娘に「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。ヘロデ王は逡巡したが、約束だからそれを与えることにし、牢の中でヨハネの首をはねさせた。

 歌曲にもなり絵画でも知られている有名な一節であるが、誠に身の毛がよだつシーンである。ヨハネに与えられた死は理不尽この上なく、人間の身勝手な思いが圧倒的に支配されている。洗礼者ヨハネからキリストへとここから道は続いていく。

 聖書の時代から人間の蛮行は続いているのか。神にすがるわけではないが、どこかに拠り所としての心棒が欲しいと思う。十字架の贖いは私たちを生かし養う。

 「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道すじをまっすぐにしてくださる」。(箴言36節)

 

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