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紺碧の将

ディジーダイアリー

2019.06.04

 来る日も来る日もディジーのブローチばかり作り続けていた。

 色のない冬が過ぎ、春色の世界に埋もれて気もそぞろに過していたら、今はもう新緑の季節であった。

「あれっ、私は半年のあいだ何をしていたのかなっ!」

 やっと私はビーズの森から抜けだしたようである。

 気がつけば、色とりどりのひな菊のブローチが、ざっと200個ばかり所狭しとトレイの中に収まっている。直径4センチのその花型は、花弁9枚に囲まれて、中心は8ミリ玉のスワロフスキーと3色を混ぜたビーズがめしべとしてデザインされている。形はみんな同じだが、ビーズや玉の色、形、その組み合わせによって、同じものは一つとしてないのである。

 実はこのことが作り手としては密かな楽しみであり、飽きることなく小さな世界に没頭することが出来る。だが「過ぎたるは……」の諺通りここから抜けだせなくなってしまった。ディジー作りは今に始まったことではなく、ここ数年は定番作品として人気もあるのだが……しかし、なぜ今ディジー一点張りなんだろう。

 

 薄々私はあることに気がつきはじめている。もしかしてこれは一種の老化現象ではないかと。

 近頃の私の生活は極端に単純化されてきている。

 外出は極力控えます。掃除洗濯はさささっと、食事の支度は面倒なものはお断り、電話もメールもこちらからはいたしません、などなど。

段取りよろしく空いた時間はすべてビーズワークに当てます、というのは誠にお利口な智恵なのだが、これがディジーだけとなるとちょっとヤバいのではないか。

 

 水玉模様で造形を作り続けて世界に名を馳せた人がいる。「お布団アート」と称して古布、ボロ布、綿などをかき集めて一日中その中に埋もれながら、つなぎあわせて、「何か」を作っていた人がいた。ひたすら水玉を描き続け、布をつなぎ合わせるという行為は一見無謀にも見えるが、そこには作者の見えざる企みや仕掛けがあるのだろう。

「無謀なる秩序」と言うべきか。観る私たちをあっと驚かせ、感動の渦に巻き込む。

 

 さて、ささやかなディジーたちではあるが、そこにはひたすら作り続けてきた私の時間が見える。小さな形に祈りと願いを込めながら、一個は皆のために、皆は一個のために精一杯見栄を張っている。

 

 でもそろそろ次の作品に取り掛からないと。あせる私にスタッフが一言。

「ディジーに呼ばれているんですから、呼ばれている間は作り続けた方がいいんじゃないですか」

 

ディジーのブローチ(42×42mm)

 

ディジーのブローチ(42×42mm)

写真 大橋健志

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