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私たちについて
紺碧の将

浅草橋と私

2020.12.03

 宇都宮に住んで45年になるが、その前は10年ほど東京都民であった。その間家族を持ち、米国にも2年ばかり住んでいたことがある。

 宇都宮が夫の仕事の拠点となり今に至っているのだが、私の方は、米国で初めて目にしたビーズフラワーの魅力に取りつかれ、帰国してからも正直言って東京を離れたくはなかった。何しろ東京という場所は欲しいものはほとんどが手に入る。ましてグラスビーズというマイナーな品物が揃っている場所なんてどこにもないだろう。

 

 東京・浅草橋は古くからの問屋街である。革製品、糸、人形、アートフラワー、天然石……等などの材料問屋がずーっと軒を連ねていた。私の目指すビーズフラワーの材料であるグラスビーズのメーカーは3社ほどあったが、その会社の製品を一手に揃えているのが私の行きつけの問屋さん「〇〇兄弟商会」であった。70年代のことである。今思えば半世紀近くもお世話になるなんて不思議な縁である。

 ずっと専務として会計の場所にいた素敵で温和ななおじいちゃまが亡くなり、たかはしさんという人が、在庫管理、商品発注の責任者となってからは、店の雰囲気が相当違ってきた。数えきれないくらいのビーズの色と種類とサイズ、それを注文通りに伝票に打ち、それぞれの価格を計算に入れるのだから、その作業の細かいことは尋常ではない。注文品で在庫の無いものは、直ちに助手のすがわらさんが自転車で近所のメーカーまで取りに行くのである。そして翌日には発注者の手元に届くという確かな仕事ぶりを、私はいつも畏敬の眼差しで眺めていた。

 なんて言ったって一日のうちに何軒もの発送をこなさなくてはいけない。段取りが悪いとすがわらさんに檄が飛び、のこのこ店にやってきた私は、格好のはけ口になることもある。

 「月曜日の朝は一番忙しいんだ。もっと時間をずらして来てよ」と、こちらは客であろうがお構いなしで、言いたいことを言う。

 「宇都宮から一番電車で出てきて、これから何軒ものお店に寄るのよ、こちらだって真剣なんだからそんな冷たい言い方はないでしょう」と、私も黙ってはいられない。彼はきれいに整頓されたビーズの棚をむやみに触られるのは嫌なのだろう。私は、見本帳では正確な色が分らないからこの目で確かめたいとの思いがある。それぞれに自分の仕事で精いっぱいだから、他人の立場なんて考えているゆとりがない。

 

 そのビーズ屋さんを起点にパーツ、ワイヤー、りぼん、スワロフスキーのお店……と浅草橋、蔵前界隈を歩き回る。蔵前まで足を延ばすと老舗のリボン屋さんがある。そこは昔からの慣習通り12時にはきっちり1時間の休憩があるので、何としても午前中にはそこの用は済ませたかった。昼食時間も惜しいけれど休憩しないと体が持たない。大概駅前ガード脇の焼きそば屋さんに入る。美味しくて安くて早いからである。昼過ぎ陽が高くなる頃浅草橋は益々熱気を帯び、往来は私のような女性の買い物客であふれ、日本語以外の言葉も飛び交っていた。コンクリートとビルが立ち並ぶ街だから熱が反射し、こもり、人の熱気と混ざってヒートアップしてくる。少しづつ重くなる荷物を肩で食い止めながら、忘れ物は無いかと確認しながら帰途に就く。

 東京へ出かけるといってもほとんどが浅草橋近辺で、ゆっくり銀座巡りをしたり、遠出をして吉祥寺のアンティークショップまで出かけたりできるのはもっと先のことであった。新幹線のおかげで行動範囲が広がり、体も楽になったことは確かである。

 その後、たかはしさんも定年退職で辞められ、今はすがわらさんが私の窓口になって、便宜を図ってくれている。何といってもあの几帳面な親方のそばで30年以上黙々と働いてきたのだから、今やビーズの生き字引みたいな人だ。

 今頃になって私は大きな発見をした。たまたま二人は浅草橋の問屋さんに就職をしてビーズ部門を任され、来る日も来る日もビーズに埋もれ、種類と品番を唯一の頼みとして伝票を切り発送する日々であっただろう。私はビーズが大好きだから救いもあるけれど、結構つらい仕事だろうな、と勝手に想像していた。

 ところが今やビーズに囲まれてすがわらさんはルンルン気分である。店は縮小されたが、気兼ねなく自分で采配が振れる。時間をかけて自分流に整理整頓された棚は、注文の品を即座に引き出すことが出来て彼は満足気である。私の個展の時のDMを見て彼は「まるで錦繍のようですね」と言ったことがある。私にしてみれば、あの無口だった青年から最高の誉め言葉をもらった気がして嬉しかった。ビーズ大好き人間としてこれからもよろしくね、という気持ちである。

 

 ビーダリーのスタッフであるきよみさんは、東京にも教室を持ち月に何回か上京するのだが、ビーズの仕入れを彼女に頼むことが多くなった。こんなコロナの時代に二人で出かけることはないですよ、と彼女は私の面倒な注文にも応じてくれる。

「すがわらさんが、在庫整理をしていたら古いビーズが一箱見つかったからどうですか、と言っているけれど。とてもシックなグリーンですよ」と、きよみさんから電話がかかる。きっと50年以上前のビンテージものであろう。一箱に12束入っているから1束10mとして120mの量がある。これからの季節にクリスマスツリーが山ほどできるわね、と小躍りしたい気分だ(どれだけ作るつもり? 死んじゃうよ!)。

 グラスビーズは、経年とともに新しいものにはない何とも言えない雰囲気を醸し出す。それをちらっと教えてくれるなんて有難い。やはり持つべきは古い友、いえ、ビーズを愛する仲間の存在である。

 

 私も昔のようにキリキリしていない。余裕なく歩き回った浅草橋だったが、今は立ち寄る店々も素敵にディスプレイされていて買い物を楽しめる余裕もできた。本通りをちょっと曲がると静かな住宅街だったりして、新旧混ざりあった風景が心地良い。きっとこの街はゆったりと変化を遂げてきているのだろう。やっとそんなことに気付いている近頃の私である。

 

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