興味を持ったことは、あれこれ考えず一歩踏み出す。自分の人生の可能性を拡げていきたい。
認定NPO法人あおぞら理事大音雄真さん
2022.03.24
宇都宮市にあるセレクトショップ「和音」の珈琲スタンドでコーヒーを販売しながら、認定NPO法人あおぞらで理事を務めている大音雄真さん。異なる分野で活動している大音さんですが、どういう経緯で興味を持ったのか、お話を伺いました。
いろいろなキャラを演じてみた子供時代
子供の頃はどんな性格でしたか。
自分でも、“こんな性格でした”と言うのが難しく、いろいろなキャラを演じていました。小学生の時は人を笑わせるキャラだったり、中学生の時は、おとなしかったり。周りからは、優しい、お人好しと言われていました。
周りにうまく合わせることができる子だったのですね。
合わせていたつもりはなかったのですが、周りから見るとそう映っていたかもしれません。小学校の卒業文集の「性格が天然な人」ランキングでは1位でした(笑)。人を笑わせたくてボケていたのが、天然と思われていたみたいで、理想の自分と周りからの印象にギャップがありました。あとは、同年代の友達よりも、年上の人や大人の人と話す方が好きでしたね。
なぜ大人の人と話す方が好きだったのですか。
知らないことを知れるきっかけが多かったからです。わからないことがあったら、理解できるまで質問していた子供でした。もちろん同年代の友達と遊ぶのも楽しかったですよ。
そういった人と話して、興味を持ったことはありますか。
料理は子供の頃から好きでした。今ではスマートフォンで調べればすぐにレシピがわかりますが、僕が中学生の頃はまだスマートフォンがなかった時代ですから、料理本を買ってはいろいろな料理を作ってみることが楽しかったですね。
お母様と一緒に作っていたのですか。
いいえ、両親が共働きだったため本を読みながら一人で試行錯誤しながら作っていました。そのおかげで料理が得意になりましたし、高校卒業後は調理の専門学校に進学したいと思うようになりました。
憧れの横浜へ
どこの学校へ進学されたのですか。
横浜調理師専門学校です。
ご両親は横浜へ行くことに反対はされなかったのですか。
反対されませんでしたよ。横浜は憧れの地でもあり、ずっと住んでみたいと思っていたんです。調理師専門学校へ進学したのは、料理が好きだったこともありますが、将来母とカフェをやりたいねと話していたのも理由の一つです。調理師免許を取るのは母の希望でもありましたから、多少のわがままは聞いてもらいました(笑)。
横浜のどんなところが憧れだったのですか。
景観がきれいなところと程よい都会感です。住み慣れたところは安心感はありますが、新しい発見や人との関わりも狭まってしまうと危機感を感じていました。横浜は歩いているだけでもワクワクしましたし、毎日が新鮮でした。何よりも、興味をもったことはやってみる、と思えたことが自分の中の大きな変化でしたし、生まれ育った栃木県にももっと関心を持つようになりました。
そう思えたきっかけは何だったのですか。
遠くに感じていたものが、一歩踏み出すだけで近くに感じられたことです。高校卒業までは家族旅行以外に県外へ出た経験がなく、もっと早くからいろいろな世界を見ておけば良かったと後悔しました。今ではそういった考えが、自分の原動力となっています。
専門学校生活は貴重な時間だったと思いますが、どんな学生時代を過ごしましたか。
1年制の専門学校でしたから、資格を取ることに必死でした。友達と遊んだりアルバイトをしたりという時間はなかったのですが、初めての一人暮らしでしたから、部屋の模様替えをしたり好きなインテリアを飾ってみたりと楽しむ工夫はしていました。
接客の経験が自分の自信に
楽しみを見つけることが出来るのも「興味を持ったらやってみる」という前向きな気持ちだからですね。卒業後は料理の仕事に就いたのですか。
いいえ、2つほど飲食店の採用が決まっていたところがあったのですが、どちらも相手側の事情により就職できなくなってしまったんです。実家に戻り、近くのカフェや雑貨屋の「Francfranc」で接客の仕事に就きました。
思い描いていた就職先とは違ったと思いますが、接客から学ぶことは多かったのではないですか。
元々インテリアや部屋の模様替えが好きでしたから、Francfrancでの接客は楽しかったですよ。接客をする時に心がけていたのは、お客さんのことをじっくり観察することです。
例えばどんなところを見るのですか。
家電コーナーですと、夫婦やカップルで来られる方が多いのですが、男性か女性、どちらが欲しがっているのか、とか、決定権はどちらにあるのか、とかです。みんなに当てはまることではないと思いますが、女性はデザイン性、男性は機能性で選ぶ人が多いですね。独学で心理学を学んだことがあるのですが、意外と当たっているもんだなと思います(笑)。
私も時々Francfrancへ買い物に行きますが、接客をしているのは見たことがないかもしれません。
当時の店長が、接客を大切にしている人だったこともあり、お客さんには積極的に話しかけていましたね。雑貨のカテゴリーごとに販売実績ランキングが出るのですが、家電のカテゴリーで週間や日別で全国1位になったこともあります。大都市ではない宇都宮で、それだけ実績を作れたのは自分の自信につながりました。
Francfrancを退職する際は、周りの人から止められたのではないですか。
その店長は快く送り出してくれました。元々、母とカフェをやるという目標がありましたから、やりたいことを尊重してくれました。よく上司に止められて退職できないという話もありますが、人にも恵まれた職場でしたね。
退職後は、お母様とカフェを営んでいるのですか。
実家が「和音」という雑貨やお土産を売っているお店を経営していて、その場所でカフェを始めようかと話していたんです。ところが、市街化調整区域のため飲食店の営業は難しいことを知り、今は栃木県さくら市にある「道の駅きつれがわ」で珈琲スタンドを使ってコーヒーを販売しています。
思わぬ壁があったのですね。
和音は宇都宮インターのすぐ側にあるのですが、そういった規制によって周りはガソリンスタンドやコンビニしかないんです。年々人の出入りが減っているように感じます。でも、それぞれ違う土地でやることで、和音を知ってくれている人がコーヒーを買いに来てくれたり、「道の駅きつれがわ」に来てくれた人が和音を知ってくれる人もいたり、多少なりとも相乗効果があると思っています。
どんなコーヒーを売っているのですか。
「和音ブレンド」という、宇都宮にある「あおぞら珈琲」さんから当店オリジナルで焙煎とブレンドをして頂いているものです。「ブラックコーヒーが苦手でも美味しく飲める」をコンセプトにしています。
キッチンカーでの接客はFrancfrancとはまた違った難しさがあると思いますが、買いに来てくれたお客さんに印象付けていることはありますか。
20歳の頃に習得した、スプーン、フォーク曲げをお客さんからの要望があればその場で披露しています。口コミから「その技が見たくてコーヒーを買いにきました」というお客さんもいますね(笑)。知らない人にも興味を持ってもらうために、珈琲スタンドの見えるところに曲げたスプーンやフォークを置いています。小学生の時は、人を笑わせるキャラでしたから、誰かを楽しませたいという気持ちが根底にあるんだと思います。
そのマジックはどのように習得したのですか。
スプーンやフォークを買っては曲げての繰り返しで、これまで何百本と買っていると思います(笑)。曲げるだけでなく、極めようと思えばいろいろな技があって、お客さんを飽きさせないために新しい技を練習することもあります。何ごともコツをつかむまでが難しいですよね。力を入れる場所であったり、お客さんの目を惹くための話術だったり。
ちょっとした特技がある強みですね。今は、珈琲スタンドでのコーヒー販売が主な仕事ですか。
メインはそうですが、認定NPO法人あおぞらという国際協力団体の理事もやっています。
認定NPO法人あおぞらでの活動
具体的にどんな活動をしているのか教えてください。
途上国での医療支援や水衛生の支援活動を行っている団体です。2011年に映画化された、理事長葉田の著書「僕たちは世界を変えることができない。」を専門学生の時に見て、途上国の現状を知ったんです。葉田が仲間を募り、チャリティーイベントで資金を集めカンボジアに小学校を建てるお話なのですが、大きな感銘を受けました。その後2017年にあおぞらを設立したことを知り、マンスリーサポーターに登録をしたことが、携わるきっかけになりました。
映画を見る前からボランティアに興味があったのですか。
いいえ、まったくありませんでした。ただ中学生の時に、事件にまでなってしまった酷いいじめを目の当たりにしてから、そういった負の面に違和感を覚えたんです。その出来事が、今の活動をするきっかけの一つでもあります。
マンスリーサポーターから運営に携わる人は多いのですか。
今のところいないと思います。マンスリーサポーターを募集し始めてすぐに登録したからか、代表からすぐに電話がかかってきました。
どのような電話ですか。
あおぞらのこれまでの活動やこれからの活動に協力してほしいというものでした。
理事になられたのはいつごろからですか。
2021年の3月からです。
2020年の5月ごろにあおぞらに正式に加入し、2021年に入ってから、前任の理事が退職することになり、そのまま理事を引き継ぎました。当時は本業の仕事が忙しかったものですから、断ったんです。そのあとも何度かお話をもらい、引き受けることにしました。本部は京都ですが、前任の退職により京都事務所だけでの活動は難しくなり、栃木に事務所を設立しました。
理事となって、どのような活動をしているのですか。
あおぞらの運営がメインです。講演会の日程調整や支援してくれる方の対応、途上国へ支援するまでのスケジュール、それに係る経理面のサポートなど様々です。
現在の支援活動はどのようなものですか。
コロナ禍のため現地で直接というわけにはいきませんが、現地カウンターパート協力のもとカンボジアの小学校に手洗い場を建設したり、各家庭への浄水フィルターを導入したりとできることを行っています。その後もメンテナンスや適切に使われているかの確認も大切です。皆さんある程度想像はできると思いますが、支援をする場所は日本のように蛇口をひねったらきれいな水が出てくる環境ではありませんから、世界的に新型コロナウイルスが感染拡大しても手を洗えないという問題があったんです。実際に手洗い場を作ったもののメンテナンス不足や適切な使い方ができていなければすぐに使えなくなってしまう。そうならないために現地のカウンターパートと協力して、きちんと使えているかの評価まで、都度行っています。
作って終わりではなく、それからのサポートの方が難しそうですね。
主に支援者からの寄付金で成り立っている事業ですから、雑な対応はできないですよね。でも、作って終わり、というところも実際には多いと聞きます。
寄付したくても、実際は何に使っているのかわからない、という人も多いのではないですか。
そうですね。あとは、協力したいけど何をしたらいいかわからないという人も多いと思います。僕たちの団体は、2020年11月に認定NPO法人になりましたが、認定されるには活動内容はもちろん、組織の運営が適切に行われていることや広く一般から支持を受けている、情報公開が適切に行われているなど、さまざまな審査があり、認定を受けているのは全NPO法人の約0.5%です。前任の理事が長期間かけて認定を取ってくれました。彼が退職してからも、この感謝はあおぞら一同、身に染みて感じていると思います。寄付先の選択には、認定を受けているといったところも見極めできる一つかもしれませんね。
これから「あおぞら」でどんなことをしていきたいですか。
一番はこの活動をもっと広めていきたいですね。最近は、メディアに取り上げていただくことも多くなりましたが、まだまだ認知度は低いと思っています。寄付金が活動資金になっているので、まずは知ってもらうことが大切だと思っています。僕もこの活動を知ったきっかけは映画ですが、支援を始めたのはそれを見て心を動かされたからです。行動力と人との縁は比例すると思っています。誰かの心を動かせるような行動をして、縁を増やしていきたいですね。
自分の心に素直に従うことが、行動力を増やす一つのキーワードだと思いました。貴重なお話をありがとうございました。(取材・文/髙久美優)