その人や風景の背景にあるものまで、アナログ感覚で写したい。
株式会社アマノスタジオ代表森日出夫さん
2017.09.11
『Japanist』の巻頭対談の写真でおなじみの写真家・森日出夫さん。アート写真家として、コマーシャルフォト写真家として、横浜を拠点に活動を続けている。
森さんの写真に賭ける思いを聞いた。
デジタルカメラを使っていても、デジタルだと思っていない。
森さんが写真に興味をもったきっかけを教えてください。
僕は9人きょうだいの6番目として、横浜駅近くにある八百屋の家に生まれました。僕以外は、すべて八百屋の仕事をしているのですが、僕だけ写真の道に進んだきっかけは、義兄である天野裕之の影響です。
彼はアマノフォトデザインという会社を経営していました。建築写真や航空写真を撮ったり、街のDPE店を営んでいたのですが、「ヒデ、ちょっと手伝ってくれないか」と雑用を頼まれるうち、「写真って面白い。俺の仕事はこれしかない!」と思ったんです。そして学校を卒業した後、義兄の仕事を手伝うようになりました。とは言っても、給料はなく、せいぜい交通費をもらう程度でした。一日中、暗室にこもっていたり、とにかくあらゆる雑用をこなしながら写真を学んだんです。
でも、給料がなかったら食べていけないですよね。
すでに結婚していたのですが、奥さんに食べさせてもらいました(笑)。半年くらい過ぎた頃、ようやく月3万円くらいもらえるようになったんですけどね。
それでも3万円ですか。
ふつうのサラリーマンは10万円以上もらっていた時代ですが、僕はあまりそういうことにこだわりがなかったんです。それよりも写真を覚えるのが楽しくて。思えば、その頃、無我夢中で学んだことが今に生きていますね。
やがて義兄から会社を引き継ぐことになるんですね。
そうです。資本金を足して株式会社化し、名前を「株式会社アマノスタジオ」としました。借金も引き継ぎました。5,000万円だか7,000万円だかありましたけど、すべて返済しました。
義兄がつくった会社を引き継がないで、新たにご自分の会社を立ち上げるという選択肢はとらなかったんですか。
ずっとお世話になっていましたしね。そういうことができる人間じゃないんですよね、俺って。「名前も変えていいよ」と言われていたのですが、アマノという名前は引き継ごうと思ったんです。
律儀ですね。ところで、写真は他のクリエイティブなジャンルと同様、自分なりの表現スタイルを持っていなければダメですよね。今、森さんの「スタイル」ははっきりとありますが、それは一朝一夕にできたわけではないと思います。自分のスタイルをつくるため、どんなことをされたのすか。
写真の技術に関する本はかたっぱしから読みましたし、いいと思った写真は、同じように撮りました。完全モノマネですよね。今のようにデジタルじゃないですから、撮影した後でデータをいじるというようなことはほとんどしません。シャッターを押す時の工夫、フィルターの選択、現像する時の工夫など、さまざまな要素が合わさってひとつの作品になります。露出のかげん、現像液に浸ける時間、現像液の温度など、あらゆることを実験しながら、自分が求める写真のスタイルを少しずつ形にしてきました。
いい作品を完全に消化しながら、自分のスタイルを築いたのですね。ズバリ、森さんらしい写真とは、どんな写真ですか。
アナログっぽさですね。その人、その物が持っているぬくもりだとか歴史だとかがにじみ出てくるような写真といえばいいのかな。僕はデジタルカメラを使っていても、デジタルだと思っていないんです。アナログの時代に覚えてきたようなことを考慮しながら作品を撮っています。僕にとって、被写体はタダの「モノ」ではないんです。僕の心が共鳴した、モノを超えたもの。例えば、『Japanist』の場合は、品や格調も大切ですし、登場人物の背景にある思いや人間性を写すことを心がけています。心が共鳴した瞬間を撮るため、ファインダーを覗きながら、いつも話を聞いているんです。
東日本大震災の後は、ピアニストの鬼武みゆきさんとのコラボで、「1 minute piece “Happiness is…(私の幸せ)”」をネットで発表していましたね。その後、NHK福島局からの依頼で、同じく鬼武さんといっしょに、それぞれの街から受けた印象を映像と音で表現されています。写真集もたくさん出していますね。今後、新しい活動は?
こう見えて、今年の12月に古希を迎えるんです(笑)。それを機に『月刊 森日出夫』を刊行する予定です。楽しみにしてください。
株式会社アマノスタジオ