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紺碧の将
Interview Blog Vol.34

仕事も人生も楽しく豊かになるよう、その人の持ち味を引き出すお手伝いをしています。

株式会社アイパートナー代表三村邦久さん

2018.02.01

持ち味を活かした経営コンサルティングを行う三村さん。一見、コンサルタントとは思えないその姿は、飄々として、風通しの良さを感じます。世間でありがちな短期の数字重視、売上重視よりも、ひたすらいい会社づくり、いい人材の育成に力を入れ、個人個人の特性を生かすことに尽力されています。

自分らしさの原点を知る

三村さんは「持ち味」を活かすということをテーマに経営コンサルタントをされています。持ち味というと、その人の個性や特性ということだと理解していますが、具体的に、どういうコンサルタントなのですか。

 簡単にいえば、その人らしさを活かして仕事をするという働き方を提案するということです。中国古典の中庸に「天の命ずるこれ性といい、性に率うこれ道といい、道を修むるこれを教えという」という言葉があります。つまり、人にはそれぞれもって生まれた天性や持ち味があって、それを活かしていくことが人として正しい生き方で、正しい生き方を極めるためには常に持ち味を研ぎ澄ませていなければいけないと言っているのです。要するに、人間らしく自分らしい生き方、自分らしさを生かした仕事をすれば良い人生になりますよ、ということですね。この「中庸」の言葉に出会って自分の考えは間違っていないと確信し、持ち味を活かすコンサルタントに徹しようと思ったのです。

 私は兵庫県の百姓(農家)の家に生まれたのですが、父は酒米の王様「山田錦」を育てていました。農業は稲の持つ性質を引き出す仕事ですが、人間の力ではどうにもならない自然が相手で苦労ばかりが多く、割のいい仕事とは言えません。しかし、我々の命の源である食べ物はそんな過程を経て生まれてくる尊さがあります。忍耐強く愚直に稲を育てる父の背中を子供の頃からずっと見てからでしょうか、私自身、種を蒔き、育て、刈り取るという農耕的な考えが知らずしらず身についていたのだと思います。

 東洋思想には、ビジネスにも通じる「先義後利」と言う考え方がありますが、利という文字は稲穂を刈り取る収穫を表わしていて、正しく私の原風景と一致します。

壁にぶつかり、自分の軸を立て直す

経営コンサルタントとして独立されたのはいつですか。

 39歳のときです。大学を卒業後、電子部品メーカーに就職し、27歳のときに中小企業診断士の資格をとり経営コンサルタントの道に入りました。当時から目先の売上や利益を伸ばすお手伝いではなく、いい会社を作ることを念頭に置いていました。いい会社というのは、いい人材や組織があってこそ成り立つわけで、それが結果的に売上や利益につながります。だから、まずはいい組織を作ることが優先ですよと。

 東京に出てきたのは36歳のときです。勤めていた大阪のコンサル会社が東京に事務所を立ち上げるということで、私が責任者として上京することになったのです。立ち上げから3年後、軌道に乗ったことで自信がついたということも、独立を後押ししてくれました。

滑り出しはどうでしたか。

 よかったですよ。祝儀相場でしょうか、旧知の経営者の方がお客様になってくれました。その後は当然波がありましたが、まずまずの状況が続きました。

 その状況が一転したのが、2008年のリーマン・ショックです。私だけではなく、世の中全体が一転しましたよね。47歳のときでした。独立当初こそ勢いだけで通用しましたけれど、不況期は勢いだけではダメで、本来の実力が問われます。景気が悪くなって仕事が減るのは、自分に実力がないからだということをつくづく実感しました。そのときに、あらためて自分には特徴となるもの、自分というものを明確に説明できる軸がないことを思い知らされました。

たしかに、軸がなければ状況の変化でぶれますよね。ぶれない軸を求める人が、今は増えています。

 そうなんです。私自身、そのことを身を持って感じたからこそ、自分の軸はなんだろうと深く考えました。自分の特徴は何なのかということを真剣に考えたのです。

 一般的に、経営コンサルタントとして独立をするという場合、有名大学出身とか有名企業に勤めていた経験など、立派な肩書きを武器にしている人が多いです。実際、私の知人にもそういう人がいますが、そういうネームバリューが通用するのは独立して10年くらいです。10年以上過ぎたら関係ないですね。そもそも私にはそういう立派な肩書きがなかったから、それを振りかざすことはなかったです(笑)。じゃあ、いったい自分の武器はなんなのかと、自問自答を繰り返してでてきた答えが、「百姓の息子」だということでした。元々は、切った貼ったのビジネス世界とは対局にある地味な農耕がルーツであることは、常にコンプレックスの種でした。しかし、他の人にない何か価値を生むのではないかと考えるようになりました。

「老子」との出会い

それが、最初の「天の命ずるこれ性といい……」という言葉につながるのですね。中庸の言葉ですが、中国古典を学ばれていたのですか。

 本格的に学び始めたのは50歳のときです。東洋思想を研究されておられる田口佳史先生の講義を受講してからですね。仕事を立て直すためにいろいろ学んでいるときに、たまたまテレビでアオキ・ホールディングの青木会長が田口先生の『論語の一言』という著書を紹介していたんです。気になってネットで注文しようとしたら売り切れで、そのときは「すごいなあ」というくらいで終わったのですが、しばらくして、またその本の在庫情報が入ってきたので、そういえばと思って注文しました。読むと本当にすばらしい内容で、そのことを私が発信しているニュースレターで取り上げたんです。すると、それを見たある人が、田口先生が一般向けに講義をしていると教えてくださったんです。

受講されてどうでしたか。

 衝撃でしたね。初めて受けた講義は偶然にも「老子」でした。その内容が常識を翻す深く本質的な内容で、これまでにない衝撃を受けました。

 老子は「朴」ということを説いています。朴というのは素朴の朴ですよね。人間は材木を加工して立派な器を作ろうとします。器ができるのはいいことのように思いますが、そうじゃない。器というのは形が出来上がったものだから、成長が止まることでもあり、硬直化であり老化で死に近づくとことになる。老子は完成をよしとしないのです。

 朴(あらき)とは、切り出したままの原木で、木肌がザラザラして手に棘が刺さります。曲がったものは見た目も良くないし材木にもなりませんね。けれど、それは素のまま大きくなったからであって、元の性質は失われていない。そして無限の可能を秘めている。それが「朴」であると。これは今で言うところのダイバシティでしょう。だから、人間も同じように生まれたままの素朴な状態、赤ちゃんのような純粋無垢な状態が一番いいんだと言うのです。赤ちゃんは柔らかくてか弱い存在だからこそ、守られます。柔弱剛強、柔らかさは強さであり、固く強いものに勝るのだということを、そのときに教えられました。

 その時、すーと心が軽くなり、未来への希望が沸いてきました。他にも、「足るを知る者は富む」「上善は水の如し」など。田口先生に師事する機会を得たことが、私の考え方を根本から変え、自信を与えてもらいました。本当にありがたいですね。

その話を聞くと、持ち味の良さもすんなり理解できますね。

 そうでしょう! それまでの私は外ばかりに意識が向いていて、トレンドに乗ることや他の人がやっていることを追いかけていたのですが、リーマン・ショックによってそれが間違っていたことに気づきました。そして、それまでの自分のやり方を変えようと思った。そのときに出会ったのが田口先生の説かれる「老子」「中庸」「論語」「孟子」だったのです。自分の原点、本来の自分の原点を見つめ直すきっかけになりました。それからです、自分の価値観に素直に仕事をしようと考えたのは。「窮すれば変ず、変ずれは通ず」ですね。

意識が変わったことによって、実質的な仕事の内容に変化はありましたか。

 基本的なスタンスは大きく変えてはいません。若い頃から中小企業のオーナー社長目線で顧客と向き合っていたこともあって、利益だけではなく、その会社がどうやったら良い会社に成長するだろうと考えることが私のコンサルのベースにあります。

 変わったことは、経営戦略や経営システムづくりなどの会社の形を作ることから、社長や社員一人ひとりの内面に視点を移して行ったということです。いくら経営戦略や人事制度などが立派であっても、それがうまくいくかいかないかは、経営者の心や社員一人ひとりの気持ちで決まると感じていたからです。

 そもそも目先の利益をあげようとするだけの仕事には興味もないし、したくない。それよりも、その会社を長い目で見て、社員が物心ともに幸せで持続的に業績も上がる会社にしたいと考えています。例えば、営業やモノづくりなど特定の機能だけが優れていても他は良くないというのでは、会社は成り立たないでしょう。全体の機能のバランスと人の心が繋がっているのが会社なのだから、個人個人を育成していきながら、組織全体を良くしていくサポートをしていくのが私の役割だと思っています。

持ち味を生かして人生を楽しむ

ところで、三村さんの名刺にはマラソンと酒造りが趣味と書いてありますね。

 マラソンは47歳のときに知人から誘われて始めました。定期的に大会にも参加していますよ。マラソンは体力増進と忍耐力アップに効果があり、自分に自信が持てるようになりました。

 酒造りをするのは、兄との夢でした。私が32歳のときに父親が亡くなって、その後、親戚や地域の人が酒米作りを引き継いでくれました。その後「いつかオリジナルの酒を作りたいね」と兄と話していたんです。どこかで作ってくれるところはないかと酒蔵を探していたけれど、オリジナルの酒はどこも1000本からしか請け負ってくれないとわかって、私はあきらめていました。ところが数年後、兄から100本からでも作れる酒蔵があると知らせてくれて、それならなんとかできると思い、本格的にオリジナル大吟醸の酒造りを始めました。

 今年で5年目になります。ラベルのひとつは父の名前をとって「清」、もうひとつは私の標榜する愚直経営の「愚直」にしました。

私もいただきました。すっきりした味わいで、とても美味しいです。仕事もプライベートも三村さんの持ち味が生かされていますね。では、今後の抱負を教えてください。

 これからは、自らがコンサルするだけではなく、これまで培ってきたノウハウを他の人に伝えていきたいと思っています。コンサルタントとしての軸を定めるために、これまで紆余曲折しましたが、今ははっきりと自分の武器が何かがわかります。私の武器は、持ち味を活かすことを提案することです。

世の中には出自がいいとか、親のおかげでというような、後光がさしている人たちはたくさんいます。しかし、自分にはそんな後光は最初からありませんでした。だからこそ、持って生まれた自分の性分、持ち味を生かしたコンサルをしてきましたし、これからもずっとそうしていこうと思います。

 人は一人ひとり持ち味は違い、会社はみな持ち味が違うのだから、その持ち味を引き出し笑顔を増やすためのコンサルティングをやっていきます。世の中には形ばかりのハウツーは多いですが、いい人生を送るためには、やはりまっとうな道、王道が、近道だと思います。そのことを、これまで以上に情報発信も強化して伝えていきたいですね。

(写真:上から田園風景、講演風景、オリジナルのお酒、瀬古利彦さんと)

株式会社アイパートナー

http://www.i-partner.co.jp/

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