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紺碧の将
Interview Blog Vol.45

蔵元の“想い”とともに、最良の状態でお酒を届けることが使命です。

岡埜屋酒店 4代目岡鉄之さん

2018.05.21

1913年(大正2年)に創業し、今年で105年の歴史をもつ岡埜屋(オカノヤ)酒店。代表の岡鉄之さんはその4代目です。コンビニやスーパーなど、気軽にお酒が買える時代になり、経営の方向転換を余儀なくされました。「人との出会い、そしてお酒との出会いが自分の世界を広げてくれた。蔵元(製造者)の“想い”と一緒に、お客様にお酒を届けるのが使命です」と岡さんは言います。

貴重な2年間、酒屋としての自分を形作った修行時代

100年以上の歴史を持つお店というのは、長い間、顧客から支持されてきた証拠だと思います。岡さんは子供の頃から岡埜屋酒店を継ぐことを意識していたのでしょうか。

 祖父からは「お前が4代目になるんだよ」とずっと言われてきましたが、父は酒屋にならないで弁護士になれって言ってました(笑)。在庫を抱えない仕事をやれって言ってましたから、当時は商売も大変で苦労をしていたのだと思います。父なりに、私の将来を考えてくれたのでしょうね。

 店を継ごうとハッキリ意識をしたのは、私が中学3年生の時です。父が急逝してしまい、それからは祖父と母と、父のお姉さんの3人でお店を守っている状況だったので、高校を卒業したら4代目としてお店に入らなければという思いが強くなりました。

それまではお店を継ぐ以外の職業も考えたりはしませんでしたか。

 やりたいと思う仕事はいろいろありましたが、勉強が嫌いで大学進学も考えてはいませんでしたし、進路を決める中学3年という時期に父のことがありましたから……。状況的にも酒屋を継ぐしかなかったんですよね。だからといって、嫌々継いだわけではないんですよ。当然、店を継ぐことも進路の選択肢には入っていましたから。むしろ「よし、やるぞ」って腹が決まりました。

では高校を卒業と同時にお店に入られたのですか。

 そのつもりだったのですが、他の酒屋で修業をしてこいと言われました。それで東京の酒屋で2年間、働かせてもらったんです。都会の店の雰囲気や忙しさが実家の店と違って、最初は戸惑いましたが、先輩が細かいことまでしっかりと教えてくれたので、とても勉強になった2年間でした。

 お客様を嫌な気持ちにさせないように配慮することもたくさん教わりました。例えば配達でお届けするときは商品をちゃんと拭いてからお渡しするとか。当たり前のことなんですが、社会人1年生で右も左もわからない時期って、教わらないとそんなことにも気づけないんです。

そのまま実家のお店で働いていたら気づけなかったことも多かったかもしれませんね。

 修業に出ろって言われた意味が分かりましたよ。酒屋としてやっていくと決めてから、初めてそういう目線で他の酒屋の仕事が見れたんですよね。今でもあの時の経験を思い出して仕事をすることがあるんですよ。改めてあの2年間が活きてるなって感じるときがあります。

 それにいい出会いも多くて……。そこで出会った先輩とは今でも情報交換をします。そういう人脈も財産ですからね。

地域に必要とされる酒屋になるために

今はお酒が気軽に買える時代です。そういう状況の中で酒の専門店としてお店を経営するのは大変なことだと思います。

 しばらくは従来のやり方で、問屋から仕入れたものだけを売っていたんです。ただそれでは大型店と値下げ合戦になってしまうんですよね。そういう時代になったんだなって感じたとき、このままではダメだと思いました。

 それからは価格が崩れない商品を扱っていこうと考えたのです。仕入れを問屋任せにするのではなく、自分で選んだお酒を売っていこうって。世の中にはいろいろな蔵元があって、こんなに美味しいお酒があるんですよ、このお酒はこのあたりでは当店でしか扱っていませんよって言えるような売り方にしたんです。

4代目として、お店の未来像はあったのですか。

 最初は毎日が精一杯で、そういうことを考える余裕はありませんでした。意識が変わったのは結婚して子供が生まれてからですね。父としての責任を感じたときに、漫然と日々を過ごすのではなく、しっかりと店の未来を考えなければいけないと思いました。

 ウチは地域密着型の店ですから、地域から必要とされる酒屋・地域の役に立てる酒屋になるためにはどうしたらいいだろうと考えながら日々を過ごすようになりました。

 自分で選んだお酒なら、飲食店さんにも提案ができるんです。一緒にいいお酒を売っていきましょうという流れになれば、蔵元・販売店・飲食店といった業界全体が盛り上がりますし、お客様にもそれまで知らなかった美味しいお酒を飲んでもらうことができます。

筆書きのメッセージをつけたり、箱や紙ではなく手ぬぐいで包装をしたり、これは贈り物で喜ばれそうですね。

 それらは妻のアドバイスです。今までは祖父や母からアドバイスをもらい岡埜屋酒店というチームでやってきましたが、そこに妻が加わってからは、新しい切り口での提案が新鮮で、経営に厚みが増したと思います。やっぱり新しいことに挑戦するってやる気がでるんですよね。

 元美容師なので手先が器用で感性も豊かだし、ラッピングもお客様には好評です。ほんとうによく支えてくれて……。ありがたいですね。

人との出会い、お酒との出会い

取り扱うお酒はどのように選んでいるのでしょうか。

 必ず飲んで味を確かめます。その上で蔵元に取り引きさせて欲しいとお願いをしに行きます。

 蔵元を訪問することは、自分で味を確かめるのと同じくらい大切なプロセスなんです。お客様にお酒の説明をするとき、味の感想だけではどうしても不十分になります。蔵元がどういう製法でつくっているのか、どういう想いでつくっているのか、そういった背景ごと伝えないと、そのお酒の魅力を100%伝えることはできないからです。  それに、こだわってお酒を造っている蔵元との取り引きはそんなに簡単なことじゃありません。自分の作品でもあり、我が子にも等しい存在のお酒ですから、大切に扱わないお店には卸したくないのは当然ですよね。直接会って、こちらの熱意や想いを伝えることが重要なのです。

そこまで考えてもらえると蔵元も嬉しいでしょうね。

 その大切なお酒を管理して、ベストの状態で蔵元の“想い”と一緒にお客様に届けることが私の仕事だと思っています。ですからお店に並んでいるお酒は全て自信をもってオススメできますよ。

蔵元との取り引きで印象に残っていることはありますか。

 知り合いの紹介で、ある蔵元に取り引きをお願いしたとき、その蔵元の人が店を見にきたんです。店に入って第一声が「こんな汚い店には卸さないよ」でした。「○○さんの紹介だから話だけは聞くけど、次に来る時までに綺麗になってなかったらお断りだよ」ってハッキリと言われたことがありました。

 自分はそこまで汚いと思っていなかったのですが、甘かったんだなって痛感しました。それからは意識が変わりました。自分だけの世界観や価値観で物事を捉えるのはやめて、他の酒屋さんに行って良いところを勉強させてもらうようになりました。

 怒られたときは落ち込みますけど、本当にありがたいことだと思います。普通は理由も言わずに断るだけだと思うんですよ。怒る方だっていい気分なわけないですからね。

そういう蔵元との出会いも、岡さんの財産になっているのですね。

 これまでにいろんな人から助言をいただいて、その中には厳しいものもありましたが、そのおかげで今の岡埜屋酒店があるんです。人とのめぐり合わせがいい人生だなって思います。

 2代目や3代目、そして母の背中をみて育ってきましたから、人とのつながりを大切にするという考え方が当たり前に身についていたんでしょうね。

 先代までが残してくれた人とのつながりにずいぶん助けてもらいました。昔からのお客様で今でも応援してくれる人が多いですから。いい財産を残してくれたと感謝しています。

 人との出会いがお酒との出会いを生み、お酒との出会いが人との出会いを生んで、それが自分の世界を広げてくれています。

このお仕事の面白さはどんなところにあるのでしょうか。

 自信を持って薦めたお酒を飲んでもらって、美味しいねって言ってもらえたり、飲食店に卸したお酒があっという間に売れてしまって、再注文がきたときはすごく嬉しいですね。自分で選んで、蔵元に行って、その想いごとお酒を届けて、それが100%伝わったと思う瞬間、この仕事をやっててよかったと心から思います。

 これからもそんな仕事ができるように頑張っていきたいです。

Information

【日本の美酒・地酒の店 岡埜屋酒店】

〒329-2727 栃木県那須塩原市永田町12-4

TEL.0287-36-0228

 

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