アスリートの怪我を少しでも減らし、パフォーマンスを発揮してもらうために
株式会社ユーフォリア代表取締役CEO橋口寛さん
2019.02.10
メルセデスベンツ日本法人勤務を経て、企業再生のコンサルティング事務所を設立後、現共同代表の宮田誠さんとともに株式会社ユーフォリアを立ち上げた橋口寛さん。7年前から、トップアスリートたちのコンディションを可視化するソフトウェア「ONE TAP SPORTS」を開発し、ラグビー日本代表チームの肉体改造のサポートを行ってきました。現在はさらに事業を拡大し、より多くのアスリートたちの縁の下の力もちとして活躍されています。
パートナーとの新しい幕開け
御社は橋口さんと宮田さんが共同で代表を務めていらっしゃいますが、お二人は昔からのご友人ですか。
15年ほど前にファイナンスの勉強会で知り合いました。出会った当時、彼はブリヂストンに勤めていて、僕は個人事業主としてコンサルティングをしていました。
なぜ、お二人で事業を興そうと思われたのですか。
もともと個人事業としてのコンサルティングだけではない新しい事業を立ち上げたいと思っていました。宮田と出会っていろいろ話すうち、事業を立ち上げるなら彼と一緒に、と思ったんです。そして2008年、資金を出し合って株式会社ユーフォリアを立ち上げました。と言っても創業の理念が決まっていただけで、具体的なビジネスプランはありませんでした。二人ともまだそれぞれの仕事がありましたから、しばらくは理念を具現化するためのビジネスプランをディスカッションする毎日でした。
話し合って、具体的なものは見えてきましたか。
世の中にある顕在化していない価値を見つけて、広く届けることを考えていました。価値あるものとニーズの媒介役としてサービスを提供する。今では当たり前になった、シェアリングエコノミーの原型になるようなものですね。その素案をベースにプロトタイプをいくつか作っていきました。当時はスマホもない時代でしたから、そういうサービスはなかったんですよ。
かつては多くの人がものを所有することに価値を認めていましたが、創業当初の十年前に、これからは人といろいろなモノやサービスを共有する方向に変わってくだろうと思い、その前提でのサービスを考えていました。その後、実際、そうなっています。
たしかにそうですね。ものを持たないミニマリストが増えています。顕在化していない価値とは、どういうものですか。
たとえば映画館がそうです。1日のうちに客が入る時間とあまり入らない時間がある。飲食店や理美容室、貸し会議室や企業研修など、ありとあらゆる業態でそういう波はあります。しかも、店舗それぞれ客入りの波は違う。そういう情報がわかれば、消費者側もその時間に合わせて行くことができる。需要の波と供給をマッチングできたら、もっと多くの人がハッピーになるんじゃないかと思ったんです。
ただ、当時は今と違って、情報の伝達手段が発達していませんでした。パソコン自体今ほど普及していないし、携帯はガラケーしかなくSNSなどのネットワークも限定的でしたから、普及のインフラがまだ整っていませんでした。
3年くらいコンサルティング事業を行いながらさまざまな試行錯誤を繰り返していました。
コンディションを可視化する「ONE TAP SPORTS」始動
形が見えはじめたのはいつごろですか。
大きな変化があったのは2012年です。スポーツ選手のコンディションをデータで分析し、チーム単位で視覚化するソフトウェアを開発しました。それが今の「ONE TAP SPORTS」の原型です。「なぜ可視化するのか」というのも、これまで培ってきたコンサルティングがベースになっています。
選手のコンディションが目で確かめられるというのはいいですね。感覚だけでなく理論的に理解できます。そのソフトを作るきっかけはなんだったのですか。
知人のつてで、ラグビー日本代表チームのGMから連絡があったことです。ハードトレーニングに取り組む選手たちの怪我のリスクを可視化するデータベースを作れないか、と相談を受けたんですよ。記憶に新しいと思いますが、4年前にイングランドでのラグビーワールドカップで日本代表チームが世界的な強豪である南アフリカ代表に勝利したとき、注目を浴びて、一気に国内でもラグビー人気が高まりました。それまで日本ラグビーがワールドカップで勝ったのは、唯一、2009年にジンバブエに勝ったときだけです。それくらい、世界とのレベルの差は大きかったんです。
昔はテレビで放送されることもほとんどなかったと記憶しています。
ええ。だけど、僕は子供の頃からラグビーファンで、深夜に放送される試合を釘付けになって見ていました(笑)。日本代表が負けるたび、悔しい思いをしていましたね。だから、その話が来たときはふたつ返事で受けたくらいです。
今年、ラグビーワールドカップが日本で開催されますが、当時の状況からすれば夢のような話です。その夢のような話は、実は2009年に決まっていて、しかも、開催国は大会の商業的成功のために決勝トーナメントに進まなければならないという暗黙の諒解がありました。逆算すると2015年のワールドカップでは世界のトップテンに入るくらいでないと間に合わない。
そういう状況の中で、2012年にエディー・ジョーンズが日本代表のヘッドコーチに就任したのを機に、日本ラグビーの取組のすべてが大きく変わったのです。
そうでしたか。具体的に、どういうことからはじめたのですか。
あくまで我々が関わる領域での話になりますが、基本は日々の体調管理です。早朝に「ヘッドスタート」というハードなトレーニングがスタートするのですが、選手たちは朝起きると、まず主観的な体調や痛みの程度などを入力します。それを一覧にまとめたコンディション一覧シートを、練習が始まる30分ほど前までには、スタッフへメールで知らせる。何らかの異常値がある場合は怪我のリスクが高い可能性がありますから、まずスタッフが声をかけて確認をしてからトレーニングを計画通り行うかどうかの判断を下します。主観的な数値だけではなく、GPSデータに基づくさまざまな数値などもモニタリングしていきます。そうすることで、その時々の体調にあわせたトレーニングプランを作成することができます。人は誰でもその日によって体調は違いますし、一人ひとりの体調は違って当然です。そうした個別性に合わせた対応をスタッフの方が行うための判断のサポートをするのが、我々の役割だと考えています。
「ダメ社員」の一念発起
たしかに、一人ひとりにあった練習ができれば、確実に個人の力はつきますし、そうなれば全体のレベルもあがりますね。そういった個人データを視覚化するもとになったのは、以前のコンサルティングの仕事だったとおっしゃいましたが、コンサルティング業は長かったのですか。
大学を卒業後、7年間はメルセデスベンツの日本法人に勤めていました。その後、MBAを取得するために2年間、私費でアメリカに留学し、帰国後、製造や流通企業の経営の立て直しなどに関わってきました。その後、再生コンサルティングとして独立したのです。
以前紹介した近藤隆雄さんが主催する「サムライ塾」の創設メンバーのおひとりですね。
そうです。宮田から近藤さんを紹介されて、近藤さんの人間的魅力にはまってしまい、宮田や数人の仲間と一緒に近藤さん主催の「サムライ塾」を発足させたんです。それが2013年で、今年で7期になります。近藤さんの、次世代を担う若者を育てようという意欲はほんとうに素晴らしく、頭が下がります。僕にとってもサムライ塾のメンバーにとっても、近藤さんは親父のような存在ですよ。
橋口さんの来し方はエリートコースを絵に描いたようですね。
そうでもないんですよ(笑)。就職した頃は、まったく仕事ができない人間でしたから。そもそも就職することすら考えていませんでした。
そうなんですか?
もともと小説家になるのが夢でした。昔から本を読むのが好きで、新人賞に何度も応募して結構いいところまでいったんですよ。寺山修司さんに憧れて、同じ大学の同じ学部にも入ったし、学生デビューするって意気込んでいました(笑)。結局、学生デビューには至らなかったから、とりあえず就職しようと思ったときは、もう大学4年生の夏頃でした。
ぎりぎりですね(笑)。
ええ(笑)。そんなわけで、いくつか面接までこぎつけたものの、まったくダメでした。というのも、面接の仕方も知らなくて、学生生活のことを聞かれたときに、卒業論文で書いた谷崎潤一郎の脚フェチ論やサドマゾ論を熱く語ったんです。もちろん、まったく理解してもらえませんでした(笑)。唯一、僕の話を乗り気で聞いてくれたのが、メルセデスベンツの面接官だったんです。谷崎ファンの人がいましてね。意気投合して二人で谷崎談義で盛り上がりました
橋口さんにそんな過去があったとは信じがたいです(笑)。結果、メルセデスベンツへの入社が決まったと。
人事部では「脚フェチの橋口」で通っていたそうです(笑)。しかも、営業系で入社したのに定時であがるもんだから、「できない社員」として有名でした。
新入社員が定時であがるというのは度胸がありますね(笑)。問題はなかったのですか。
あったでしょうね。そのころの僕は、小説家になる夢をあきらめきれず、就活のときも暇な会社を狙っていたんです。原稿を書くために。だから、仕事にも熱は入っていませんでした。上司二人が僕のあまりの使えなさぶりに「どうしたらいいか」と話しているのを聞いたこともあります。
それが、どういうわけで気持ちが変わったのですか。MBAを取ろうと思われたくらいですから、何かあったのではないですか。
入社一年目の秋に全精力を注ぎ込んで書き上げて文学賞に応募した作品が落選したんです。
現実を突きつけられたわけですね。
今までの中でも最高傑作だと自負していた作品だったんです。それが、一次通過もできなかった。一次で落ちたのは初めての経験だったので、相当落ち込みましたね。仲間と飲んでクダを巻いていたんですけど、新宿にいたのに翌日の昼に気づいたら横浜にいました。しかも血だらけで(笑)。いいかげん落ち込んだ後、思ったんです。もしかすると、これは「一度小説を離れて仕事に集中してみろ」ということかもしれない、と。そこから気持ちが切り替わりました。
仕事モードに切り替わったと。
ええ。どん底まで落ちたからか、一念発起したあとの仕事はほんとうに楽しかった。MBAを取得しようと思ったのも、もっと仕事の幅を広げたかったからです。
5年間、ひたすら仕事をしました。伸び悩むディーラーに出向き、再生させる仕事です。すると、人から感謝されるんですよね。仕事の喜びを知りました。その仕事が自分に合っていたんでしょう。企業再生という仕事に魅力を感じ、独立を決意しました。29歳のときです。
「ONE TAP SPORTS」の未来
橋口さんの仕事への向き合い方は理想的ですね。好きなことを突き詰めたから、きっぱりと仕事への切り替えができた。中途半端だとそうはいかないです。夢中になっていたものが姿を変えただけのような気がします。
そうかもしれませんね。昨年、KDDIとアシックスを引受先として増資したのですが、それも、宮田と二人で始めた「ONE TAP SPORTS」の思いに賛同してもらえたからです。このシステムを多くのチームやアスリートたちが活用してくれれば、個人のレベルアップはもちろん、日本スポーツ全体のレベルアップにつながります。一人でも多くの選手に怪我なく過ごして欲しい。日本人選手が重要な場面で最高のパフォーマンスができるよう、できるかぎりサポートしたい。来年には東京オリンピックも控えています。そのためにもこの事業を成長させ、加速する必要があると思ったのです。
われわれができるのは、ソフトウェアでのサポートだけです。最終的にはチームの皆さん、そして選手自身の自己管理に委ねられることになりますが、我々はそのために必要なインフラを作り、提供していくことに全力を尽くします。
選手たちにとっては心強いサポートだと思います。今後は、どのような展開を考えていますか。
現在、ラグビーをはじめ、サッカー、野球、アメリカンフットボール、バレーボールなど、30を超える競技のトップレベルのスポーツチームや大学の強豪チームが、このシステムを導入してくれています。日本代表チームも14競技になります。それを、もっと裾野を広げて、高校以下の部活動にもこのソフトウェアを啓蒙したい。少なくない部活動で、科学的とは言い難い指導法のため、思春期の子供たちの体に負荷がかかりすぎています。それぞれにあったトレーニングをすればもっと怪我を減らせるのに、指導者たちがそのことを考えていない、というか知らないのです。
子供にとってのスポーツは勝つことではなく、健やかに育つのが目的です。僕自身、子供の頃に野球で無理をして痛めた腕の後遺症が、今も残っています。特に女の子は、思春期のころに無理をして月経不順や無月経を引きずると、将来、大きな代償を払うことになってしまいます。そういうことを防ぐためにも、このシステムを学校教育の中でも活用してほしいですね。
(写真:上から ①創業当時、宮田誠氏とオフィスの屋上にて ②「ONE TAP SPORTS」の画面イメージ ③サムライ塾の近藤隆雄氏 ④ラグビー日本代表
Information
【株式会社ユーフォリア】
〒100-6509 東京都千代田区丸の内1-5-1
新丸の内ビルディング9階 EGG JAPAN
http://www.eu-phoria.jp/