家族・趣味・仕事、すべてを楽しむライフスタイルがここにあります。
木型職人井上力夫さん
2019.10.25
多彩な趣味を持ち、何よりも家族を一番大切にすることがモットーの井上力夫さん。山を切り拓いて建てた一軒家に住み、趣味に没頭しながらも、木型職人として真剣に仕事に取り組む姿は、まさに人生を楽しむ達人です。日本一周バイクの旅で得たかけがえのない宝物、そして価値観を変えた大きな失敗とは何か。お話を伺いました。
木型職人として
木型職人としてご活躍とのことですが、具体的にはどのような内容のお仕事なのでしょうか。
自動車部品を製作するための木型の治具(加工や組立の際、部品や工具の作業位置を指示・誘導するために用いる器具の総称)を手作業で作っています。機械加工で治具をつくる同業者もいますが、自分の場合は高価な機械を導入してもかけるコストに見合わないんですよね。それに手作業ならではのメリットがありますから。早さと安さ、そして対応力です。製作途中で仕様が細かく変更になることもあるので、そういう対応も手作業なら素早く、柔軟にできるわけです。
お父様も木工関係のお仕事をしていたとのことですが、やはりその影響でこの道に入られたのですか。
そうですね。父がやっていたのは治具ではなく鋳物の仕事でした。鋳物って木型から砂型を作成して、その砂型に溶かした鉄やアルミを流し込んで製品を量産するものですが、その木型を作っていたんです。
小さい頃から作業している父を見て、子供ながらに凄いと思っていました。ライトを当ててノミで木を突く姿が今でも頭に焼き付いています。将来は木型屋になるという内容の作文を書いたようですが、記憶はないです(笑)。
よく手伝いをするようになったのは高校生くらいからですね。それまではずっとサッカーばかりやっていて。父から直接「この仕事をやってみるか」「継いでくれ」などと言われたことはありませんでした。 高校を卒業する頃には別の進路も考えましたが、結局この仕事にたどり着きました。
では高校を卒業後にこのお仕事を始めたのですね。
まずは勉強のため、東京の金型屋と樹脂型屋を経営している会社に就職しました。実はまだ迷いがありましたが、3年間そこで働いたことで木型の仕事をやる意志が固まりました。その会社を辞めてすぐ、バイクで旅に出たんです。バイクとキャンプが趣味で、3ヶ月くらいで日本を周ろうと思いました。その旅をしている間に覚悟が決まり、本格的に仕事をはじめました。
同じ木型のお仕事でもお父様は鋳物、井上さんは治具なのは何か理由があるのでしょうか。
もともとはどちらも製作をしていたのですが、鋳物の木型は衰退してしまったんです。木型を作らずに直接金属加工ができる時代になってしまいましたから。ちょうど父の引退と同時期に仕事のウエイトが治具に移っていき、今に至っているわけです。
鋳物の仕事は今ではほとんどありませんが、その技術や知識は今でも活かされていますし、使っている木材も同じ種類のものを使っています。
一方で治具の需要があるのは手作業で作ることのメリットが大きいからですね。技術を持つ井上さんだからこそできる仕事ですね。
この仕事は現場が使いやすい治具を作ることが至上命令なんです。こちらがよかれと思って付け足した部分が現場目線では逆に使いづらい余計なものだったりします。とにかく相手の意見・要望に忠実に作ることが基本です。製作途中に仕様が変わって、変更したらまた戻してくれということも珍しいことではありません。それでも相手の理想をそのまま形にすることが求められます。
昔は自分以外の木型屋さんもこの仕事をしていましたが、ベテランの職人さんほど、対応するのが難しかったみたいですね。途中で職人さんが腹を立ててしまうこともあるようで……。
そこを上手に対応しているわけですね。
綿密な打ち合わせが大切です。妥協点を話し合う、こちらのアイデアは事前に相談する。これだけでもかなり違います。もちろんすべての要求に応えるのは大変ですが、父は「時間をかけてもいい、やっていればできちゃうもんだよ」とよく言うんです。確かに試行錯誤すれば出来てしまうことも多く、「出来ない」や「無理」と言わないようになりました。特に木で作ってくれと言われる以上、こちらも職人として、その期待に応えたい気持ちがありますからね。
日本一周バイクの旅
東京の会社で3年勤めた後に日本を周る旅に出たそうですが、それを思い立ったのはなぜだったのでしょうか。
本格的に働き始める前に何か大きなことをやってみたい。時間を自由に使えるのは今しかないと思ったからです。それで250ccのバイクで日本を一周することにしました。ところが北海道だけで4ヶ月ほど滞在してしまって(笑)。結局、日本を周らないで一度帰ってきました。
その後、50ccのバイクで再び旅に出ました。今度は最初に四国に行って、冬になる前に北海道に行き、それから沖縄に向かって南下しました。一部のフェリー移動を除いてすべてバイクです。結局1年と4ヶ月は旅をしていましたね。24歳の時でした。
それは長く濃厚な旅でしたね。この旅で得たものはありましたか。
妻です。最初の北海道ではじめて出会って、バイクを乗り換えて再び旅に出たときにはもうおつき合いをしていました。お互いに旅をしていたのですが、一緒には周らず途中で合流して、またそれぞれ違うルートを行っての繰り返しでした。当時は携帯電話がありませんでしたが、楽しかったですね。会えないときは今頃どうしているんだろうって考えたり。常に連絡がとれるよりも気持ちは育つと思いました。
奥様ですか、即答でしたね(笑)。他に、感性や考え方に変化や影響はありましたか。
現代を象徴するような便利な暮らしに頼らなくても生きていけるような強さが身につきました。一番思ったことは、お金はなくてもどうにかなるということです。北海道や沖縄では同じキャンプ場にまるで住んでいるかのごとく滞在する人たちと出会いました。農家さんの手伝いをし、もらったお金はその日のうちにパーッと飲んで楽しく過ごしているんです。お金に縛られて、最悪自ら命を断ってしまうとか、そうなるくらいなら、こういう人生があってもいいじゃないかと思いました。とはいえ、こうして普通の暮らしをしているとやっぱりお金は必要ですけどね(笑)。
バイクやキャンプが趣味というのも、自然の中で過ごすことへの欲求みたいものがあるのでしょうか。
バイクで林道を走り、空き地でキャンプをしたとき、開放感や自由を感じ、それから自然の中で過ごすことに強く惹かれるようになりました。ところが長い間旅をしていると、趣味だと思っていたバイクとキャンプがただの“生活”になってしまい、自分が無趣味な人間だと思うようになったんです。それで何か始めようと思って釣りをはじめました。でも結局は、バイクやキャンプや釣りというのは自然や自由という大きなくくりの中にあるもので、それをすること自体がまとめて一つの趣味なんですよね。
未だに憧れていることがあります。西表島のジャングルに1ヶ月ほど滞在したとき、もっと奥地に3ヶ月ほどここで生活するという人が来ていたんです。自分もいつかこの人と同じ場所で長期滞在してみたいと思っています。
家族を一番に考える
今のご自宅がある場所はまさに山の中。ここを一から切り拓いて家を建てようと考える人はそう多くはないと思います。やはり自然に囲まれた環境で過ごしたいという思いがあったからでしょうか。
静かな環境で子育てをしたいと思ったのが一番の理由ですね。団地に住んでいたとき、家の中がうるさくて、他の部屋の住人に迷惑をかけてしまったことがありました。でも子供にはのびのび育って欲しいし、騒ぐのが子供の仕事なのにそういうことで叱りたくありませんでした。それで隣近所から離れて家を建てられる場所を探したんです。
ここに決めた決定的な理由は何だったのですか。
妻と一緒に土地を探して、「ここにしよう!」とお互いの意見が一致したのがこの土地でした。それに、設計士さんが「ここにこういう風に建てましょう」とラフ画も交えて丁寧に説明してくれて、それでこの場所ならと思えたんです。でも、自分も妻もここまでちゃんとした形になるとは想像もできませんでした。設計士さんに説明してもらったとはいえ、切り拓く前は普通の山の中でしたからね。結果的には希望していた以上の土地が見つかりました。
ご家族のこと、お子様のことを第一に考えて家を建てる場所を決めたわけですね。井上さんは4人の娘さんのお父さんでもありますが、お子様が産まれた時はどう思いましたか。
仕事を頑張らなくてはと思いましたね。あとは元気でいたいとも思いました。一番下の子供に「お友達のお父さんは若いけど、お父さんはだんだんおじいちゃんになっちゃうよ」って言ったら、「おじいちゃんになっちゃ、やだ」っていうんです(笑)。そういうことも含めて、いろいろ気をつけなきゃって思います。変に若作りをするんじゃなくて、健康で元気でいないとなって。(長女は、芸能界で大活躍の井上咲楽ちゃん。この親にしてこの子ありという感じだ!)
自分のことも含めて、何事もご家族を中心に考えているんですね。
やりたいことはいっぱいあるんですよ。もっと釣りを楽しみたいと思うし、サッカーはプレイヤーとコーチの両方をやっていますし、もっと大きな自然の中で生活をしてみたいとも思います。でも、限られた時間の中でなにを優先するかと言われれば、自分の人生で一番は家族なんです。何事もそこを軸にしています。
子供を授かったとき、仕事を頑張らなくてはと思ったのも家族のためです。家族のために仕事をして、趣味のために仕事をする。極端に言えば仕事は最低限、そこを守れればいいと思うんです。だからといって、嫌々仕事をしているわけではありません。必要とされ、その期待に応えることが職人としての誇りですからね。
価値観・人生観を変えた大きな失敗
壁にぶつかったり、大きな失敗をしてしまったり、そういう経験談はありますか。
若い時、投資をしていたことがあって、それで失敗したんです。まだ家を建てる前で、かなりの金額を損失しました。深い考えもなくお金儲けに走ってしまうところが実に愚かでした。その失敗から価値観が大きく変わりました。お金に対して冷めた目で見るようになったんです。たくさんお金があるからといって、必ずしも人生が豊かになるとは限らないと思うようになり、お金に執着することはなくなりました。
たとえ投資に成功していても、あのときの自分では結局最後には失敗してお金は残らなかったんじゃないかな。むしろ自分を見失ってもっと悪い方向へ行ってしまったかもしれない。旅と同様に、この失敗もまた、自分の人生には必要な経験だったと思います。
生きていく上でのこだわりなどあったらお聞かせください。
思い出をすごく大切にするんです。例えば高校のときから履いている靴が壊れてしまい、メーカーに聞いても直せないと言われて……。探せば直してくれる業者さんは見つかりますが、修理代が新品の靴以上の値段なんです。でもなるべく捨てたくない、それでもいいから直して履き続けたい。ずっと使っているものだから愛着が湧くことはもちろんですが、ともに歩んできた思い出がいっぱい詰まっているからなんです。 これは靴に限ったことじゃなくて、すべての物がそうです。その“物”の姿を見て、傷があったり汚れがあったり、そこにはそれぞれの思い出がありますから。そういうことを大切にしたいんです。
これからはどのように人生を歩んでいきたいですか。
サッカーはずっと続けたいですね。70歳になっても動ける体でいたいです。あとは西表島のジャングルに長期滞在するとか、釣りを楽しみたいとも思います。限られた時間の中で何をするかを選ばないといけませんが、それで悩んでいることも楽しいんです。これから先、まったく違う趣味ができるかもしれないし、そこはどうなっていくかわかりませんが、そのときに一番楽しいと思うことをやっていけるように歩んで行きたいですね。でも一番は家族ですから、そこを大切にしながら、やりたいことができるような人生であればいいなと思います。